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< ドキュメント風林火山 | 科学と宗教の間 >

2019/08/07

ヒーローインタビュー

内容が思いのほか長くなってしまったので最初に結論だけ書いておきます。

  • 質問者は相手を理解するために質問しているのではなく、自分の中の「イメージ」に沿う回答が得られるように誘導尋問をしている
  • 質問者が得られる回答の質は質問者の質に依存する

の2つが書きたかった内容です。


それでは本文です。

野球のお立ち台の時のインタビュアーの質問ってワンパターンだと思いませんか?

だいたい「打席に入った時の気持ちを聞かせてください」と質問して、だいたい「絶対にここで打ってやるんだ、という強い気持ちで打席に入りました」と答え、そして球場が沸く、といった流れです。

ちょっと話が横にそれるんですが、こういった意気込みを選手に聞くのはやめてほしいと個人的に思っています。

たしかに、サヨナラホームランの後にそういったやり取りをして観衆を盛り上げたい意図は分かります。

しかし、その打席以外の他の試合、他の打席において散々「ここで打てば完全に試合を決められる」といった場面でことごとく凡退していたりします。さらに次の回にエラーをしてしまい、それが決勝点になってしまったり……

決定機でなくとも打席に入ればベンチからのバント指示などがない限りはどの打席であろうとバッターは「打つ(あるいは塁に出る)」という気持ちで打席に入っているはずです。

仮に気持ちの強さが結果につながるなら、凡退した打席は「打つ気持ちがなかった」ということになってしまいます。

なので自分としてはチャンスで凡退するたびに「お前勝つ気あんのか?」という気分になってしまいます。

勝率が高いチームだと勝つ機会の方が多いので「打席に対する意気込み」で盛り上がるのもいいですが、勝率が低く負け越しているチームだと、勝って盛り上がる機会より、チャンスで打てずフラストレーションがたまる機会のほうが多くなります。

シーズン全体で見れば、ストレスが発散されるよりむしろストレスが蓄積されます。

ですので勝利インタビューの時は、打席に入る前の意気込みを聞くのではなく、純粋に打った後の気分だけを聞いてほしいと思います。

そうすれば「最高の気分です!」となって観衆も盛り上がれますし、その1打席の結果に対しての「気分」なので、他の打席の「意気込み」にも影響しません。

ホームランを打った後の気分は、その前の打席でワンアウト満塁の場面でゲッツーを取られてしまった時の意気込みとはなんの関係もありません。

そこを「絶対に打ってやるという気持ち」と言われてしまうと「じゃあ、前の打席でゲッツーになってしまったんはやる気がなかったんか?」といった邪推が発生してしまいます。

勝利インタビューに関する愚痴はこの辺にしておきます。

ここで言いたかったことは「質問」というのは得てして自分たちの知らない「何か」を知りたいのではなく、自分たちの中で何かしらの納得感を得たいために行うということです。

自分の知らない何かを相手から引き出したいのではなく、自分の中にある、あらかじめ存在している仮説というか希望に対して辻褄を合わしてほしいのです。

「打席に入った時の気持ちを聞かせてください」と聞いて「別に」と答えられることはかけらも想定してないのです。

答える方も相手が何を求めているかは空気でなんとなく分かるので、自分のホントの気持ちはひとまず横に置いておいて相手が求めているであろう答えを回答するのです。

つい口がすべって本音を出してしまい「別に」と答えてしまった日には世間一般の皆さんからものすごいバッシングを受けてしまいます。

ですので、インタビューに対する受け答えは予定調和であり、相手から何かを引き出すのではなく、聞き手側の「空気」を読んで、その期待に答えるだけのやり取りとなるのです。

質問をしているのに、実際に欲しているのは知識や情報ではなく共感なのです。

こういった慣習が記者(質問者)の質の低さという現実を生んでいます。

最近では、記者会見の様子をYoutube等で生放送で視聴できたり、無編集の映像をまるまる見れる機会が増えました。

「編集」というフィルターを通すことなく、実際の質疑応答の一部始終がダイレクトに世間一般のみんなにさらされるようになりました。

イチローの引退会見やここ最近の某お笑い芸人周りの騒動における会見を見ていると、記者の質問内容があまりにも低レベルでびっくりしてしまいます。

支離滅裂で自分で何を言っているのか理解できていないのでは?と思わせる発言や、同じような質問、会見の趣旨と全く関係のない質問をとても高い打率で繰り出しています。

そこで、なぜ質問の質が低いのか?を考えると上記までで述べてきた「質問者に求められるのは相手から情報を引き出す能力ではなく世間一般から共感を得られる答えを引き出す能力」という環境要因がある、と考えることができます。

だいたいの場面において、相手の意向や感性、考えを引き出すのではなく、自分の中であらかじめ決まっている「こういった反応がほしい」をいかに相手から引き出すか、という行動原理が求められているのです。

イチローに偉大な記録を達成した時の気持ちや、それを達成するまでにいかほどの努力を要してきたのかを質問するときは、それ相応の嬉しい気持ちや努力の軌跡を語ってほしいのです。

そこで「特別な気持ちとかはないですね」と言われると困るのです。

偉大な記録にはそれに見合うだけの納得のいく理由やストーリーが欲しいのです。

そして期待した回答と違った回答をされた記者は脳内で例外処理が発生してフリーズしてしまい、それを見たイチローが「僕なにかおかしなこと言いました?」「ちゃんと聞いてます?」となるのです。

そして記者側はめげずに違う言い回しで同じ質問をして、自分たちの期待する偉大な選手に見合う回答を引き出そうとがんばります。

そして「その質問さっき答えましたよね?」と言われて撃沈するのです。

相手から何か新しい知見や感性を引き出そう、という前提でやり取りを聞くと「頭の悪い質問だな」という感想になりますが、相手から共感できる何かを引き出そうとしている、という前提で捉えれば記者側の質問内容に対して多少は納得感を持てるのではないかと思います。

質問に対して回答者が回答する内容は質問者にかなり依存していると言えます。

イチローみたいな一部の天才は質問者の願望を考慮せずに誠実に正直に答えますが、ほとんどの人は「別に」とストレートには答えずに、ちゃんと空気を読んで「皆さんが支えてくれたおかげです」と質問者とその背後にいる多数の人間が望んでいる回答をします。

イチローのようなみんなが知る天才であれば奇抜な受け答えも、それはその人の味としてプラスに受け取られますが、有象無象の一般人である我々が相手の願望を無視した回答を行うと質問者から「こいつなんやねん、空気読めや」と思われて終わるだけです。

そういった意味で質問する人の器の大きさが回答者の回答できる幅を決めると言っても過言ではありません。

ある質問に対して質問者の意に反する回答がきた場合に、ダメと思って一蹴するか「こいつ鋭い目線持ってるな」と興味を抱くのでは評価が180度変わってきます。

自分の都合に対する空気を読んでもらうのではなく相手側のバックボーンに対して知識を持ち敬意を持って質問すれば、相手側も「この人にならこの話をしても理解(or 共感)してくれるかもしれない」となり、新たな知見や感性を引き出せる可能性が増えるのです。

相手から何か斬新な回答を得たければ、質問者自身が「私はあなたの回答を受け止めることができる」器の持ち主であることを回答者にあらかじめ知らしめなければいけないのです。

そういう意味で、面接官は自分の能力を超えた面接者を見抜けないのです。

相手に膨大な知見があったとしても、受け取り手である質問者に相手の知見を引き出すための素養がなければ回答者は自分の知見を披露することはないでしょう。

質問者が得られる回答の質は質問者の質に依存するのです。

Tag: コミュニケーション