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< 反語彙力 | ルーティーンとコンフォートゾーン >

2018/10/12

教育とは教えないことである

人が人に何かを教えることは教育とは言いません。

よくある教育の現場だと、教わる側は知識がついたことにより成長を感じ、教える側はそれを見て達成感を感じますが、それは互いに自己満足しているだけであって人が成長しているわけではないのです。

「答え」を教えることは逆に成長の機会を奪っているだけです。

それだったら何も言わずに答えにたどり着けるまで静観している方がまだ教育として結果を出す確率が高いといえます。

自分から「答え」を出させるようにするのが教育の目的なはずです。

教育という字は「教え」を「育む」と書きます。

教えそのものを人に与えるのではなくて、教えそのものを育てるのが教育です。

みなさんが教育だと思いこんでいることは「教え」を「与えている」だけで、教育でなく教与です。

教えを与えることは教育ではなくただの教えです。

「知識の伝達」と「問題解決能力の育成」という全く違った概念を「教育」という言葉に集約してしまったことがそもそもおかしいのです。

知識と知恵の違いの話はよくありますが、教育と教えの違いも似たようなお話です。

人に知識を授けるだけでは教育とは言えません。

教育を受けた者が最終的に知恵を習得して、それを活かせるようになって初めて教育になるのです。

知識の伝達は知恵を育むための手段であって目的ではありません。

問題があってその答えをただ教えるだけでは教育になりません。

未知の問題を自分の力で解いて、その内容を他人に知識として「教える」事ができるようになる、ここまで辿りついて教育となります。

自分で「教え」を「育てた」結果、それが他人に伝達できる「知識」となる。

これが教育の流れです。

教えの伝達の矢印が逆なのです。

「教育する人→教わる人」ではなく「教わる人→教育する人」となるのが教育なのです。

教育を受ける側が主体となってアウトプットをしなければいけません。

インプットだけではダメなのです。

物事を一番良く理解できる方法として「人に教えること」というのがありますが、そういうことです。

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