< 物語の価値 | プログラマーは文系の仕事 >
文章量:約1100字

自己達成感

意識高い系の人の意識が低いのはわりとよくある話ですが、意識の高さが成長につながらない理由を説明します。

意識の高さを表明することの裏返しにあるものは、自分に対する劣等感です。

自分には能力がないから、その能力を身につけるために勉強しなければならない、とSNSへの投稿なり同僚との会話なりで表明し、その能力を身につけようとします。(なんとなく言ってみただけかもしれません)

ただし、実際に行動に移して成果を出すことはまれです。

意識の高さの裏にあるのは、他人に対して頑張っている姿の自分を見せて、相手からのレスポンスをもらうことにより、自身の劣等感の埋め合わせをしようとする承認欲求です。

ここでの問題は、頑張ることを「表明」しただけで、実際はまだ何もしていないのに他人からのフィードバックという「報酬」が得られてしまうことです。

表明での「報酬」はある種の達成感です。

その時点で達成感を得られたのに、いざ実際に勉強なりトレーニングを始めると、他人からは何も評価されない、ただただ苦労だけが待ち受けています。

本来であれば、その苦労を乗り越えて表明した通りに能力を身につけることこそが目的なわけですが、表明時に沸いたモチベーションも、その後の実践時には、モチベーションを保つ要素も、モチベーションが発生する要素もなく、長く続けることができなくなってしまいます。

それで、最初は実際にやる気はあったのかもしれませんが、結果的には何も成長できないわけです。

つねづね、自分と他人の仕事の違いとして感じていたことがあります。

自分は自分の成果に対して「やってやったぞ!」とよく感じますが、他の人達は「これで大丈夫だろうか?」「自分の力が足りないのでは?」という不安と戦っているようなのです。自身の成果に対して達成感をあまり感じていないようなのです。

自分の場合は、

やる→達成感→もっとやる→達成感→……

ですが、他の人の場合、

やる→不安→成長の表明→達成感→やる→続かない→不安→……

となってしまっって、実際にやったことに対して達成感を得られず、頑張ることの表明でしか達成感を感じられないので、いつまでたっても成長することができません。

何かを「達成」した時や「完成」させた時にはじめて成長という経験値が得られます。

逆にいうと「達成」までこぎつけなければ、永遠に経験値は入ってこないのです。

いくら敵にダメージを与えても、倒さなければいっさい経験値が入ってこないのと同じです。

よって、成長できる条件として、やったことに対する「達成感」を感じることができるかどうかが重要です。

モチベーションの水源(源泉)が他人にあるのか、自身にあるのかの違いはとても決定的なことです。

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