< コンテキストスイッチとタスク分割コスト | 等しいのスコープ >
文章量:約2200字

コミュニティにおける約数束縛論

(※今回は割と強引な理屈になっていますが、書いている本人もその認識はあります。ちょっとした思考実験だと思って読んでください。)

コミュニティが発生すると、自然と似た者同士の人たちが集ります。

似た者同士が集まれば、その集まりの中で交わされる話題は自然とコミュニティごとに偏った内容になると思います。

医者の集まりであれば医療業界の話で盛り上がるし、エンジニアの集まりであれば技術的な話で盛り上がると思います。

医者の集まりでVim対Emacsの論争は起きないですし、エンジニアの集まりでムンテラについては語り合わないでしょう。

電子カルテあたりの話題ならそれぞれの集まりで話題として登場するかもしれません。

このようにコミュニティの属性によって、その集まりの中で交わされる会話には一定の「偏り」が発生します。

コミュニティは、似た者同士が集まりやすく、さらにそこでの情報のやり取りが所属する集団に依存するので、人々の持つ「情報」はどうしても偏ってしまいます。

そこで、このエントリではコミュニティ内で知識の偏りが発生する現象を数値を用いて説明していきます。

まず、仮にですが、個人ごとに、その人の知識を数値として表せるとしましょう。

そして、「6のAさん」「12のBさん」「36のCさん」の3人がいたとします。

さらに、それぞれの人が話題に出せる内容をその人の数値の約数だとしましょう。

この約数が個人ごとの話題の「偏り」を表現してくれるレトリックとして機能します。

さて、さっそく各人の約数を並べてみましょう。

Aさんは「1, 2, 3, 6」

Bさんは「1, 2, 3, 4, 6, 12」

Cさんは「1, 2, 3, 4, 6, 9, 12, 18, 36」の話題を扱えます。

そしてこの3人が集まった場合、「最大公約数6」のコミュニティである、と言えます。

このコミュニティにおいて全員が共通で話せる話題=公約数となるので、当コミュニティ内においては「1, 2, 3, 6」の話題を出せば所属メンバー全員が盛り上がって話せる内容となります。

BさんとCさんは「12」の話題も扱えますがコミュニティ内のコミュニケーションとしては基本「6」までの話題しか出しません。

さらにいうと「4」の話題もAさんには扱えないので自然と「4」の話題も扱われません。

Cさんは「36」で、一番大きい数値で知識を持っており、さらに最大9つの話題を取り扱えます。

しかし「最大公約数6のコミュニティ」内ではそのうちの4つまでしか披露できません。

コミュニティ内の一人が深く多彩な知識を持っていたとしても、そのコミュニティ内の他の人がその知識と邂逅できるわけではないのです。

コミュニティ全体のコミュニケーションが円滑に行われる限界が、所属するメンバーの「最大公約数」に束縛されるからです。

ですので、コミュニティ内に、数値の高いとても教養の深い人がいたとしても、その知識の深淵に触れられるわけではないのです。

さらにです。

このコミュニティに「49のDさん」が加わったとしましょう。

数値だけで判断すると、Cさんよりも更に高い数値なので、よりコミュニティに多様性と話題の多さを提供してくれるのではないか、という期待が持てます。

しかし、大半の読者の方はもう気付いていると思いますが、49の約数は「1と7と49」しかありません。

こうなった場合、コミュニティ内の最大公約数は「1」という最低値になってしまいます。

これは最初のエンジニアの集まりでVim対Emacsの話をしている最中にお医者さんが入ってきたようなものです。

そうなると、そのお医者さんも含めてコミュニティ内で会話をしようとすると「今日は暑いですね」みたいな当たり障りのない日常会話にせざるを得ません。

すべての(0以外の)自然数は「1」という約数を持っているので「1」の話題は挨拶レベルの日常会話だとみなすことができます。

今回の例えでは、エンジニアが「6」の倍数の知識体系で、お医者さんが「7」の倍数の知識体系を持っていると捉えられます。

もしDさんが「14」や「28」のいる人のコミュニティに入れば「7」までの話題で盛り上がれ、多少は専門的な話題も扱えます。

ちなみに、冒頭の話に出てきた電子カルテの話題は6と7の倍数である「42」の話題だと例えることもできます。

この約数論を前提にした場合、コミュニティの所属要員が「偶数>奇数>素数」の人たちの順にコミュニティの組成確率が下がっていきます。

人が一番集まりやすいコミュニティが偶数コミュニティで、人が一番集まりにくいコミュニティが素数コミュティとなります。

個人の数値の高さより「偶数・奇数・素数」という素養で所属できるコミュニティに差が出てきます。

なんといっても素数コミュティだと、その分野で何かを話そうと思ったら自分と同じ数字の人を連れてこなければならないわけですから。

例えるなら、サッカー好きの集まりが偶数コミュニティで、タスポニー好きの集まりが素数コミュティです。

「3571のEさん」は所属できるコミュティの数で「6のAさん」に負けるのです。

数値の大きさだけをみると圧倒的に「3571のEさん」が良さそうに見えますが、「6のAさん」のほうが世間を渡りやすいのです。

こう例えてみると、素数の人はいわゆる「変わり者」として世間に馴染みづらい、悲しみの運命を背負った人たちだと言えます。

自分と同じ数値の人と出会わない限り世間話ぐらいしか人と合わせる話題がないのですから・・

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