< 「頑張りを褒める」は害悪でしかない話 | 個性という幻想 >
2018/08/03
文章量:約600字
ピンクの自転車
今年で8歳になる太郎くんの家庭は貧乏でした。
ある日、自転車を持っていない太郎くんのためにおじいちゃんが親戚から自転車をゆずりうけてきました。
しかし、その自転車はもともと女の子が使っていたのか、全体的にピンクの自転車でした。
ボディーの部分がピンクなのはまだよくあるとして、なんと!タイヤもピンクでした。
おじいちゃんは男の子の太郎くんでも乗れるようにボディーの部分を緑に塗ってあげました。
でも、タイヤの部分は塗れないのでピンクのままです。
太郎くんは「ピンクのタイヤの自転車なんて恥ずかしくて乗れない!」とお母さんに言いました。
お母さんは「自転車欲しかったんでしょ。せっかくおじいちゃんが塗装までしてくれたんだから我慢して使いなさい」と言いました。
太郎くんはピンクのタイヤの自転車にしぶしぶ乗ることにしました。
そして、やっぱり太郎くんが思ったとおり、道行くすれ違いざまの人たちに指をさされたり笑われたりしました。
太郎くんはとても傷ついて、二度とその自転車に乗ることはありませんでした。
人に笑われたぐらいで傷ついた太郎くんが悪いんでしょうか?
太郎くんを笑った通行人が悪いんでしょうか?
男の子とピンクの組み合わせがおかしいというイデオロギーが悪いんでしょうか?
嫌がる太郎くんにむりやり自転車を使わせたお母さんが悪いんでしょうか?
そんな自転車をもらってきたおじいちゃんが悪いんでしょうか?
太郎くんの家庭が貧乏なのが悪いんでしょうか?
そもそもピンクのタイヤの自転車なんて作った会社が悪いんでしょうか?
太郎くんはこの苦しみをどこにぶつければいいんでしょうか?
Tag: 哲学