< DIは「動的従属関係」 | 反語彙力 >
文章量:約600字

客観視

地頭が良い(自分が有能だと感じる人)かそうじゃないかの差は、自己問答する習慣があるかないかの差のような気がする。

普通の当り障りのない人生だと、自分の感覚があまり否定されることがないので、他人と自分の違いを考察する機会がなく、客観的に自分を見つめる機会がない。

博識の人が説明や例え話がうまいのは、自分の持つ知識をそのまま伝えても大抵相手のリテラシーが低くて共感を得られにくいからだ。

そこで、他人に共感してもらえるように工夫してわかりやすく伝えようとする。

それを繰り返しているうちにどんどん説明がうまくなっていく。

逆に自分のアウトプットが相手の共感を得られない、という経験があまりない人は、自分の頭の中の考えを分解して分かりやすく適切な例えを使って伝えたりする機会が少なくて、論理的に説明する能力があまり身につかない。

日常が共感にあふれていて自己問答が発生しない環境であるならば、それは自分と相手のリテラシーが均衡している状態で、ある意味「井の中の蛙大海を知らず」状態なので、思考力を鍛える土台自体が存在しない。

そもそも蛙は海に行く必要はないので、日常圏内では論理ではなく感情や共感がコミュニケーションの肝になっている。

思考力を上げるには相手のリテラシーを上回る知識や思想を身につけるか、もしくは自分のリテラシーを上回る知識や思想を持つ集団に所属するしかない。

共感されにくい考えを苦労して説明するより、そんなものはドブにでも捨てて、周りに共感される思考でやりとりするのがコミュニケーションというものなのかもしれない。

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