< 教育とは教えないことである | ブラック従業員 >
文章量:約2200字

ルーティーンとコンフォートゾーン

コンフォートゾーンとは心理的安全地帯のことです。

わかりやすく言うと生活における「日常」のことです。

日本では多分、苫米地英人さんがこの言葉を広めました。

ルーティーンはみんなが知っているように、五郎丸選手の独特のポーズやイチロー選手の打席に立つときの一連のムーブなどのことです。

自分(もしくは他人)が決めた動作を常に毎日毎回同じように繰り返すことです。

自己啓発業界では「ルーティーンを大事にしなさい」と言ったり「コンフォートゾーンから抜け出しなさい」などとよく言われます。

しかしよく考えてみるとルーティーンとコンフォートゾーンは相反する概念なのです。

普通の人の一日の行動は日によってさほど変わりません。(平日と休日では変わってくるでしょうが)

毎日同じような時間に起き、同じように歯をみがき、同じように出かける準備をして、同じ電車に乗り、同じ会社に行き、同じ人達と仕事をし、行き慣れたお店で昼食をとり、適度に残業し、同じ電車に乗って帰宅し、適度に時間を潰して就寝する、といった日常の繰り返しだと思います。

細かくみれば多少の違いはありますが大枠でみれば大体の社会人は日々ほぼ決まったルーティーンで活動していることになります。

この時点でイチロー選手など見習わなくともみんなしっかりルーティーンのある生活をしているし、ルーティーンによる恩恵も受けています。

ルーティーンのもたらす恩恵こそが「コンフォートゾーン」なのです。

心理的安定を欠いた生活など普通の人にはとても耐えられません。

なので普通の人が普通に生活すれば自然と日常の大半のことはルーティーンになるのです。

捕虜になって牢屋に閉じ込められている人が急に祈りを捧げだしたり、よくわからない念仏を唱えだしたりするのは、不安しかない中で自分の体一つでできるルーティーンワークを編み出すことにより心の平穏を保とうとするための合理的な行動なのです。

ということで普通の人が日常を大雑把なルーティーンで生きることは理にかなったことなのです。

毎日違う場所から違う電車に乗り違う会社に行き違う人たちと仕事をするのはとても精神的に疲れるでしょう。(そういう仕事をしている人もいます)

で、その上でさらにルーティーンが大事だ、という自己啓発の教えの本質は、実はコンフォートゾーンという概念と密接な関係があります。

日常生活で無意識下で行っている行動を受動的なルーティーンと定義すると、イチロー選手や五郎丸選手が行っているルーティーンは能動的なルーティーンと定義することができます。

ある目的のために今まで習慣にしていなかった習慣を意識的に新たに取り入れる、これが能動的なルーティーンです。

能動的なルーティーンは、今までやっていなかった新しいことに取り組む+それを習慣化する、というじつはかなり難易度の高い作業なのです。

無意識で行うルーティーンと違い意識的に自分の行動を変え、かつそれを継続させるのは難しいことです。

大体のチャレンジは怠惰(受動的なルーティーン)の誘惑に負けて終わってしまいます。

自己啓発におけるルーティーンは能動的なルーティーンであり、新たなルーティーンを取り入れるためには、最初に受動的なルーティーンというコンフォートゾーンから抜け出す必要があるのです。

ですので「ルーティーンが大事」というときはルーティーンそのものが大事なのではなく「新しい習慣を取り入れる」ということが大事になります。

そして新しい習慣を取り入れるために「コンフォートゾーンから抜け出しなさい」となるのです。

ここからが自分が一番主張したいことなのですが、ほとんどの人はコンフォートゾーンからは意識的に抜けられません。

受動的なルーティーン(習慣)というのはみんなが思っているよりとても強いものです。

よほどの才能があるか狂人でない限り意識的に抜けることなど出来ないのです。

人間はそんなに簡単に心理的安全地帯からはみ出したりしないのです。

口ではいくら意識の高いことを言おうと、行動に移せるのはせいぜいコンフォートゾーンすれすれまでで、枠を超えることはほとんどありません。

やっている本人はコンフォートゾーンから抜けて頑張った、と思っていても別の人からみればさして普段と変わらないレベルの行動だな、という認識になってしまいます。

まず、ほとんどの人は自分の認知や価値観を客観的に分析もしていないし、その境目がどこにあるかを意識することもしていないでしょう。

意識しなければいけないことをすべて無意識に任せている時点で、コンフォートゾーンを意識的に超えていくなど本来できないのです。

そもそもコンフォートゾーンの範囲を認識できてないのですから抜けるもクソもありません。

そういうわけでコンフォートゾーンから抜けるという芸当はほとんどの人には意識的にはできません。

さて「意識的に」と保険をかけて表現しているわけですが一つだけ抜ける方法があります。

そうです「無意識的に」であれば抜けることができます。

その人の意識に関係なく周りの環境が変われば否応なくその人はコンフォートゾーンから抜け出し新しいルーティーンを築くでしょう。

そしてほとんどの人は意識的にではなく環境の変化により自然とコンフォートゾーンから抜けて新しいルーティーンを築いていっているのです。

牢屋で祈りを捧げだす人と同じように……

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