< コミュハラ | 努力は諸刃の剣 >
文章量:約1900字

弱者救済とABC分析

物を売る商売をやっている人からすれば、ABC分析はわりとメジャーな考え方だと思います。

ABC分析を簡単に説明すると、よく売れるA群、そこそこのB群、あまり売れないC群と分別を行い、A群に重点的にコストを掛けて売上を伸ばそうという考え方です。

売れない物よりも売れる物にコストを割くほうが費用対効果が高いのです。

売上比率が「A:6、B:3、C:1」だとしたら、それぞれ3倍売れたとして、Aだと+12、Bだと+6、Cだと+2となるので、売れるものをより多く売ったほうが儲かるのです。

ゼルダの新作と四八(仮)の続編が同時発売したとしましょう。

四八(仮)をいくら頑張って宣伝しても売上はほとんど変わらないのは容易に想像できると思います。

もし買う人がいてもKOTY(クソゲーオブザイヤー)マニアぐらいで、その人達は宣伝のあるなしに関わらず買います。

逆に、ゼルダを宣伝すれば、発売日を知らなかったライトゲーマーを取り込める可能性があるので、売上の伸びに貢献しそうなのも容易に想像できると思います。

小売の店長目線で言えば、売れないC群で在庫ストックを圧迫しないようにしつつ、A群の商品の回転率を上げて売上を伸ばしていきたい、というところです。

ところで、現代社会では、人権意識の高まりと共にマイノリティーと子供への配慮、高齢化社会により老人への配慮が加速度的に増大しています。

これは経済生産性の観点からすれば、とても非効率です。

生産力のある人から各種税金や保険料を徴収して、生産性の低い人々に再分配することで、それらの人を支える構図になっているからです。

この現実をABC分析的に捉えると、本来のセオリーとは真逆の行動を取っていることになります。

売上(生産性)の主力であるA群を犠牲にして売上(生産性)が低いC群に労力を割いているからです。

先ほどの例で例えると「ゼルダなんてほっといても勝手に売れるんだから、ゼルダで稼いだ利益で四八(仮)を宣伝して四八(仮)をもっと売りさばこうぜ!」です。

で、実際にそれをやるとどうなるかは火を見るより明らかですよね。

ゼルダで稼いだ利益は無駄になるし、たくさん売りさばく予定だった四八(仮)はデッドストックとなり在庫を圧迫し、別の商品の陳列にも支障もきたします。

セオリー通りにゼルダを猛プッシュして売れば、在庫は捌けるし売上も伸びることでしょう。

このように、主力商品である現役世代の労力をスポイルして、非労働世代のケアに当てることはABC分析的にはアンチパターンとなるのです。

そして、現にその構造に無理がでてきているので各先進国の社会は停滞しています。

商売のセオリー通りに社会を運営するなら、ABC分析に習って、現役世代にまずは力を入れて、それ以外のBとCは後回しでいいのです。

BやCに力を入れて手にできる利益よりAに注力して手にできる利益のほうが多いのですから、まずは利益を確保してからBとCの場所を確保すればいいのです。

もし、この世に存在するゲームがすべてクソゲーであれば、すぐにユーザーにそっぽ向かれてゲーム産業はすぐに崩壊するでしょう。

しかし、マイクラのような神ゲーが一つ存在するだけでゲーム産業に対する期待値はかなり高くなります。

面白いゲームがあるから「他に面白いのはないのかな?」となるし、やるゲームやるゲーム全てつまらなかったら、ゲームなんてさっさと放り投げて別のエンタメを求めるようになるだけです。

クソゲーの中からキラーコンテンツが生まれてくるのではなく、キラーコンテンツが存在するからクソゲーも存在できるのです。

ファミコンが馬鹿売れしたから無限にゲームソフトが開発されたし、GREEやDeNAがソシャゲをヒットさせたから無限にガチャゲーが爆誕したのです。

常にAという主力商品が先で、BやCはその後に雨後の筍のように生えてくるだけであって、Cをいくら頑張ろうとも、その先にAが芽生えてくることはないのです。

誰も聞いたこともない鳴かず飛ばずのソシャゲタイトルにいくら開発資金を注ぎ込んだとしても、モンストやパズドラを超えるようなキラーコンテンツに化ける日は永遠にこないでしょう。

マイノリティーを積極的に救済するよりも、マジョリティーをブーストすることにより、その余剰を分けてもらったほうが長期的にはマイノリティーにも優しい世界になるのです。

そう、スクエニがドラクエやFFのビッグIPで安定して稼げるからこそ、ブレイブリーデフォルトやオクトパストラベラーなどの新規IPに挑戦できるのです。

そして、ビッグIPを育てず果敢に新規IPに挑戦し続けたWARP(Dの食卓などスマッシュヒット作を複数制作していた会社、最後の方は300万本売れるRPGを開発しようとしていた)は今はもうありません。

Tag: 社会