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タマシイレボリューション

魂だとか、この世とあの世とか、生まれ変わりだとか、天国や地獄などの死後の世界や輪廻にまつわる既成概念は、なんとなくみんなの心の中に植え付けられていると思います。

自分は昔から「この世は精巧に仕組まれた地獄」と確信(最近、この世=地獄と結びつける言論が増えてきている気がします)しており、解脱こそがこの世で唯一成すべきことだと思っています。

それはさておき、魂の存在と輪廻は宗教が生み出した人類史上最大の発明だと常々考えています。

何故かというと、魂があり、生まれ変わりを前提とするなら、現世におけるあらゆる理不尽に理屈付けが可能になるからです。

自分の人生が良くないものだったとしても「前世で悪いことをしていた」だとか、「前世で栄華を極めた反動がきた」と、前世を持ち出すことでいくらでも辻褄を合わせることができます。

さらに、自分が到底納得できない苦労を押し付けられたとしても「現世で徳を積めば来世で救済される」と、こちらも無理やり辻褄を合わせて相手を納得させることができます。

また逆に「不善を為せば地獄に落ちるぞ」と発破をかけることもできます。

さらにもっと応用を利かせて、死者の魂が天国で安らかにしているさまを思うことで、自身の気持ちを整理することもできます。

魂と輪廻の存在により、人生で起きている因果を生前(前世)になすりつけることができるし、また、死後(来世)に引き継ぐこともできるのです。

現世だけではどうあがいても他人と比べて平等にならなくても、幸不幸のバランスがとれていなくても、前世か来世を変数に加えることで等式を成立させられるのです。

「50=100」だと不一致ですが、そこに「(50 +) 50=100」や「50=100 (- 50)」とすれば一致させることができます。

いわば、現存しないものを存在させるチート行為です。

魂の存在が生前と死後という概念を創出し、現世に生きる我々に色々な場面で動機となる理由を提示し、活動する原動力を生み出しています。

人類はまだ錬金術を見出していませんが、魂の存在は信仰において錬金術と言えるレベルのエポックメイキングだと思うのです。

逆に考えてみてほしいのですが、もし、魂も輪廻も概念として存在しなかったらどうでしょうか?

葬式をやる意味はなくなるし、天国や地獄もなくなるので徳を積む動機もなくなります。

「魂」はみんなが思っている以上に日常に侵食している概念で、大和魂や職人魂といった人間が生み出す仕事のクオリティの源泉を担っている部分が大いにあります。

人間の心に魂が宿っていると信じているからこそ、人は自分の仕事に一所懸命になれるのです。

魂のない世界では「絶対に負けられない戦いがそこにはない」のです。

このように輪廻や魂が喪失すれば、相手を説得する理屈が減るし、自分を突き動かす動機も減ってしまいます。

前世も来世もなく、現世のみで人を救えるのは実物だけです。

科学ファーストで資本主義経済のまっただ中の現在、昔に比べれば世間に流れる宗教色はかなり薄くなっているはずです。

昔であれば科学も学問もない分、人々の思考のかなりの割合が宗教(信仰心)に割かれていたのではないでしょうか。

その分、魂や輪廻の概念は現代の我々よりも深く刻まれていたでしょう。

ひるがえって現代では、科学や資本に奪われた宗教観の量だけ、人々は物質に恵まれながらも心のどこかにぽっかり穴が空いてしまったのです。

そして、その穴を埋めるために、推し活やガチャ、パチンコなどが新興宗教として人々から信仰を集めているのです。

Tag: 哲学