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問題を解くより作るヤツのほうが偉い

念の為にいちばん最初に書いておきますが、当エントリで言及している「問題を作る」とは、いわゆるトラブルメーカーだとかのみんなが困るような問題を引き起こすヤツのことではありません。

トラブルとしての問題ではなく、課題としての問題のお話です。

閑話休題。

ビジネスの世界ではソリューションという言葉をよく聞きます。

ソリューションとは課題解決のことです。

なら最初から日本語で言えよ、と思いますが大人の世界とはそういうものです。

この言葉に代表されるように、問題の解決はビジネスの核であり、普段の仕事においても重要な要素とされています。

顧客の課題を発見し、それを解決すればビジネスになる、といった話はよく聞きます。

問題の解決は偉いことであり、同時に素晴らしいことでもある事実に異論をはさむ人はあまりいないでしょう。

あらゆるメディアにおいて、悩める人々に解決策を提示するコンテンツは大量にあり、また人気があります。

テレビではクイズ番組が放送され、それを観ている視聴者は、問題を解いた自分の知能に優越感を覚え、さらに、おバカ回答者の頓珍漢な答えを聞いて、より優越感に浸っています。

一昔前に流行った脳トレもそうです。

あれも別に脳を鍛えているのではなくて、脳を鍛えてる感を味わって楽しんでいるだけです。

脳トレで脳が鍛えられた人をみたことがありません。(というか脳トレ自体にハマっている人をみたことがない)

そもそも脳が鍛えられるとはどういうことなのか?と、哲学的な疑問もわいてきますが、話が横にそれはじめてきたのでこの話は一旦やめます。

要は、他人に問題を解決してもらうのも嬉しいし、自分で問題を解くことにも快楽が存在するのです。

問題を解くことは素晴らしいし、そのこと自体に疑いはないでしょう。

しかし、問題を解くことよりも問題自体を定義するほうが、じつは重要だったり難しかったりするのです。

学校の勉強やテレビの影響で、我々は問題を解く行為だけに価値があると思い込まされています。

というか、問題を作る側の立場になって物事を考える機会をあまり与えられません。

問題立案から課題解決までのトータルの価値は、問題提起側が9割といっても過言ではありません。

昔働いていた会社の社長から「問題の8割は問題を見つけた時点で解決している。問題さえ分かればあとはそれを解決するだけでいいんだから」と教えてもらったことがあります。

その発言の意味を今ここで頑張って文章化しようとしているわけです。

さきほど少し書いたクイズ番組を例に説明しましょう。

クイズ番組において一番偉いのはクイズで正解を答えた人でしょうか?

ただ、何も考えずに番組を楽しんでいるだけならそうでしょう。

「黒柳さんは博識だなぁ」や「野々村真はバカだなぁ」と、それ以外のことについては考える必要はありません。

しかし、クイズ番組でいちばん重要なのはクイズの存在そのものです。

クイズがなければ博識が披露もされることもなければ、おバカキャラの珍回答を楽しむこともできません。

ひとえにクイズといっても、誰でも簡単に正解できても面白くないし、かといって誰も知らないような問題を出題してもシラケるだけです。

問題は問題でそれなりのクオリティーが求められるわけです。

そして、解答者はあくまでも演者サイドであり、クイズ作成側は制作者サイドなので、立場的に偉いのは制作者サイドになります。

制作者側は制作者側だけでコンテンツを完結させることができますが、演者側はあくまでも依頼が来ない限り需要はありません。

そういった意味では、問題を解くよりも作る人のほうが偉いのです。

テストや試験の問題でもそうです。

問題を作成する側はそれについてあらかじめ知識を持っていないと、そもそも問題を作ることができません。

解答が存在しない試験はないからです。

問題を解こうとする行為自体は、知識があろうがなかろうができますが、問題作成には前提知識が絶対にいるのです。

円の面積を求める公式を知らない人に円の面積を求める問題は作れません。

そういった意味でも、やはり問題を解くよりも作る人のほうが偉いのです。

ここで話を冒頭のソリューションに戻します。

ビジネスにおいて課題解決が大事だと書きました。

この課題解決でさえ、じつは「課題」そのものがとても重要となってきます。

なぜかというと、「課題」を「解決」しても、そもそも問題設定が間違っていれば、問題を解決したところで元の木阿弥だからです。

むしろ、解決のために費やした労力が無駄になったり、なんなら、何もしなかったときよりも状況が悪くなる場合も多々見受けられます。

韓国の少子化対策は、対策による成果よりも社会負担によるコストが上回った結果、人々がより子供を作り育てにくい状況(2000年の合計特殊出生率が1.48で2023年が0.72)になっています。

その結果、少子化はより加速しています。(日本も状況は似ていますし、少子化対策に予算を注ぎ込めば注ぎ込むほど経済が犠牲になり、出生率は下がり続ける)

そして、「課題」と「解決」の関係は会社と従業員の関係にも似ています。

会社はある意味、世の中の何かしらの課題を解消するために存在しています。

いわば、会社が世の中から問題を発見抽出して、従業員を雇ってその問題の解決に当たっているわけです。

従業員がいくら優秀でどれだけ頑張ろうと、会社が解決しようとしている問題が間違っていれば、その分、世間からの需要は希少となり、その結果、売上も下がり、会社が立ち行かなくなっていくでしょう。

もし、マクドナルドが顧客の健康を問題と捉えてしまったとしましょう。

その解答として、ヘルシーなサラダを主力商品にしてしまいました。

するとどうなるでしょう?

いくら宣伝を派手に打っても、クルー(店舗スタッフ)が頑張ったとしても売上は右肩下がりになるでしょう。

じつは、顧客アンケートの失敗事例でよく出される「サラダマック」という商品が20年前ぐらいにあって、マクドナルドのヘルシー路線は実際に失敗しています。

そしてその後「クォーターパウンダー」という肉の暴力で人気を回復させました。

マクドナルドが解決すべき問題は、顧客の健康ではなく消費者のジャンキーな欲求だったのです。

さらに、生存者バイアスの話で、よく出される例として航空機の被弾箇所の図とその対策の話があります。

帰還した航空機の被弾箇所の統計からいちばん狙われている部位を補強すれば航空機の装甲性能が上がる、と分析センターの研究者が進言しました。

しかし、撃墜された航空機のデータが統計に反映されていなかったので、実際は「帰還した航空機に空いた穴は、爆撃機が損傷を受けても安全に帰還できる場所を表していた」のです。

「機体のいちばん狙われる部位の防御性能」が問題であれば、最初の研究者の進言どおりに課題を解決すればよいだけです。

しかし、実際に求められているのは「航空機の撃墜を減らすにはどうすればよいか?」です。

航空機の帰還率を上げるには、帰還した航空機の被弾箇所の統計を「爆撃機が損傷を受けても安全に帰還できる部位」として評価し、被弾の少ない部位を補強すべきなのです。

マクドナルドと航空機の例で書いてきたように、問題設定を間違えてしまえば、それを解決したところで、なんの結果も得られないのです。

以上で解決することよりも問題そのもののほうがいかに大事かが分かっていただけたと思います。

そして、私の視点からみれば世間にあふれている問題のほとんどは、そもそも問題定義が間違っているように思えてなりません。

Tags: 仕事, 社会