< ドーナツホール | リテラシーの誤謬 >
文章量:約1100字

天才を殺す凶器

愛の反対は憎しみではなく、無関心です。

エリー・ウィーゼル


『天才を殺す凡人』では天才は凡人に理解できないから排斥される、という内容が書いてあったが、個人的には天才の殺され方には2パターンあると思っている。

上記の殺され方は、まだ殺害件数が少ないほうだと思う。

「理解できない」ということを理解できているのは、天才に対してまだ認識を持てている段階だ。

「理解できない」ことを理解できていない、いわゆる無知の知がもう一つの殺害パターンだ。

これが天才を殺す一番の凶器として機能していると思っている。

天才に対する無知の知を現実で起こることで表現するとどうなるか?それは「無関心」だ。

「無関心」こそ真に天才を殺す凶器である。

理解できないことによる排斥とか嫌いという感情以前に、そもそも認知自体されないつらさがある。

人は自分の理解の及ばないものに対して、それを認識すること自体ができない。

理解できないものは意識すらされない。

よってその人の中では存在すらしない。

例えばFGOというゲーム自体は好きなり嫌いなりの何かしらの感情を持って人々から「関心」を持たれる。

しかし、中で動いているCRIWAREに対して関心をもつ人はほとんどおらず、普通に遊んでいるだけの人が意識することはほぼない。

実際に動いて存在していても、それにみんなが関心を向けてくれるわけじゃない。

役に立っているからといって、利用者全員から評価されるわけじゃない。

関係性が間接的になればなるほど「無関心」になっていく。

そして、その無関心がゆくゆくは自分の生活を支えていた人たちを迫害していく。

「関心」を持つこと自体が一つの才能なのだ。

ちなみに、意識が高いことと関心の広さは比例しない。

前回書いたとおり、人が意識を持てるのは自分の認識内だけであり、そこから外れたものはそもそも関心を持たない。

いくら意識が高くても無知の知にアプローチすることはできない。

FGOをいくらやり込んだとしても、CRIWAREについての知見は一ミリも得られないのと同じように。

クリエイターやアーティスト系の人は「無関心」という凶器に一番傷つけられている人たちだと思う。

人気のあるアーティストでもアンチの存在による精神ダメージ(排斥)よりも、自分の表現に対する共感性の欠如(無関心)のほうがダメージがでかい気がする。

表面的な名声はたくさん得られるだろうが、自分の感性が鋭い分、そのほとんどが的外れであることも理解できるので、自身が得られるのは「理解できていないことに対する理解」となる。

それは自分が共感して欲しいところに共感してもらえない状態で、いってみれば能動的な無関心を常に浴び続けている状態と言える。

そして多くのアーティストは酒や薬に溺れて自滅していく…

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