熱狂と平穏の間
前エントリのネガティブ本能についてもっと書こうと思ったら思いのほか長くなったので別エントリにした。
「世界がどんどん悪くなっている」思い込みはそもそも「悪い」の定義をどう扱うかでどうとでも解釈できるので、良し悪しの判断自体が主観による思い込みであると書いた。
けど、それともう一つ、相対的に悪くなったと感じてしまうのは別の何かが「良く」なった結果、そう感じてしまう部分があると思う。
興奮や熱狂と安全や安定はトレードオフになっている場合が多い。
Lv99でスライム狩りをしても安全ではあるが大ボスと戦うときの熱狂は得られない。
ルーチンワークは安定しているが達成感という興奮は得られない。
人がよく「あの頃は良かった」ってノスタルジーを感じるとき、現実としてはどうなっているのか?
それは危険なグレーゾーン地帯が減って白黒明白な安全であり安定した世界が拡がったことの裏返しであると考えている。
世界がより平和で安定してきたからこそノスタルジーを感じてしまうのである。
何故かというと、危険なグレーゾーンのほうが真っ白な安全地帯よりも興奮や熱狂、快楽を得やすいからだ。
健康な精進料理よりジャンキーなファストフードのほうが魅力的なように。
昔のほうが線引が曖昧だった分、グレーな部分が多く、リスクやデメリットはありつつも、その部分でいろんな楽しみが(それに比例する苦しみや悲しみも)生み出された。
しかし、より公平な世界であったり、安心安全を追求した結果、グレーな部分はどんどん白と黒に塗り分けられていき曖昧な部分が減ってしまった。
黒に近いグレーが黒に塗り替えられて、そこの部分を楽しんでいた人の楽しみが消失してしまった。(もちろんそこの部分で苦しんでいた人の苦しみも同時に解消した)
少し前までは生レバーをそのまま美味しく食べることができたが、今は(法律上では)できない。
日本は生レバーを食す快楽を捨てて食中毒で苦しむ人を出さないようにする選択を取った。
そういった消失した楽しみを偲んで、人は「あの頃は良かった」と言うようになるのである。
現在開催中(執筆時)のユーロ2020ではVARを導入して正確な判定を行えるようになっている。
しかし、ゴール後のオフサイド判定によるディレイの発生でゴールを決めた瞬間のカタルシスが感じにくくなってしまっている現実も同時に存在する。
また、球際の激しい接触プレーもより厳密に判断されるようになった。
判定がよりしっかり行われるようになり、昔より公平にスポーツが取り仕切られることになった。
誤判定を減らし安定したジャッジが増えれば良くなることはあっても悪くなるようなことは一見ないように思える。
しかし、判定をめぐる是非が試合を飛び越えて良くも悪くも様々な熱狂やドラマを生み出していたのも事実としてある。
そういった熱狂やドラマをたくさんの人がコンテンツとして消費し、そこから抽出されたエンターテイメントを堪能してきた。(これももちろんその裏には誤判定で苦虫を噛み潰してきた人たちもたくさんいる)
正確さを取り入れると公平や平和が保たれやすくなるが、グレーゾーンをめぐる熱狂や快楽は失われてしまう。
プロ野球のリクエスト判定導入も正確なジャッジが行われるようになる反面、試合の流れが悪くなり間延びした時間を観戦者に押し付けてしまうデメリットがある。
さらに、これもサッカーのときと同じく、プレーの決定的瞬間のカタルシスを著しく毀損してしまう。
線引をはっきりしてグレーゾーンを失くして公正な世界にしていくほどユートピアではなくディストピアに近づいている感がある。
全てが管理されて逸脱のない世界はどちらかといえば『すばらしい新世界』であり『1984』である。
全ての不幸をなくすと、それと同時に全ての快楽もなくなってしまう世界線に到達してしまう。
パチンコやタバコ、ソープはあえてグレーゾーンを残すことで安全や安定を少し棚上げしてでも興奮や熱狂を意図的に残しておこうとする本能的な野生の意志を感じる。
それぞれ白黒はっきりしてしまえば、パチンコは換金が発生している賭博行為だし、タバコは依存度が強く自他共に健康に悪影響を与えるだけの物質だし、ソープもただの売春でしかない。
そう考えると安心安全のためにグレーゾーンをひたすら整地してキレイな白色にするほど、それと同時に人類から快楽も取り上げていってしまう結果になる。
現代社会は公正や安全・安心であることを金科玉条とし、どんどん灰色を白色に塗りつぶしていくことがイデオロギーになってしまっている。
そして灰色から快楽を摂取していた人が白く塗りつぶされた平和な世界を見て「あの頃は良かった」と言ってしまう。
過去が良かったと思えるのは世界がより公正になり安全・安心を築き上げた結果でもある。