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快楽と抑制

快楽の対義語といえば何が思い浮かぶでしょうか?

苦悩や苦痛、苦難などの言葉が浮かぶと思います。

「心地よくて楽しい」の逆ですから「苦しくてつらい」となるでしょう。

この2つは相反する概念であり、別物として扱うのが普通です。

SMなどの特殊な状況でない限りは「痛いことが快楽」といった二律背反をぶち壊すようなことはないはずです。

普通は心地よくて楽しい状態と、苦しくてつらい状態は同居しません。

楽しいときは楽しいし、苦しいときは苦しいだけです。

しかし、ここに因果律や時間の概念を導入すると「苦痛を耐え忍んだ後の快楽」や「快楽ゆえの苦悩」といった少し複雑な状況を作り出します。

4年に一度訪れるカタルシスのチャンスのために、それまでの期間はひたすら苦行を耐え抜いたり、たくさんの幸運や大きい幸運が訪れるとその反動で将来の不運を憂いて苦しむこともあります。

宝くじで大金を手に入れてもハッピーエンディングとはならずに、意外とその後の人生に苦しむ人が多くいます。

ガチャでSSRをたくさん引き当てて快楽を貪っても、それで借金地獄になれば、その後の人生は苦難の連続でしょう。

今現在が快楽や苦悩の状態だとしても、それがその後訪れる苦悩や快楽の種になる場合もあります。

ですので、ある瞬間を切り取って、その人が「楽しそうで素晴らしい」とか「苦しんでいてかわいそう」と簡単に決めつけることはできません。

ここまでは「そりゃそうだろ」という当たり前の話です。

今回お話したいのは快楽が存在する故に発生する苦痛のお話です。

先ほど挙げた例(宝くじやガチャ)だと、快楽の後の苦難は自分の欲望に負けたことによる因果応報で自業自得だろ、と思われると思います。

しかし、世の中には快楽と苦悩が切り離せないセットになっているものもあります。

その最たるものが男性の性欲です。

生物的な機能として男は射精さえすれば、いつでもどこでも気軽に快楽を得ることが可能です。

しかし、人間は文明を築いた社会的な生き物です。

四六時中いつでもどこでも射精できるわけではないですし、女性と接するたびに性欲を剥き出しにすることは許されません。

性欲という快楽の種は常に持ちつつも、それを開放するタイミングは慎重に見極めなければなりません。

いってみれば世のすべての男性は性欲のコントロールという抑制と常に戦っている状態でもあるのです。

また、イケメンではなく非モテの人となると、性欲を開放できる機会も少なくなり、より抑制による負荷が高い生活になります。

頭の中では「ヤリてー」と思っていても現実では爽やかな笑顔とともに「こんばんは、今宵も月が綺麗ですね」と性欲をさとられないように対応する必要があります。

こういった日常の抑制がチリツモしていき、その反動が某掲示板や某SNSの一部分で罵詈雑言として爆発してしまうのです。

快楽を抑制し続けるにもそれなりのストレスが伴います。

例えば、自宅にスイーツが無限に取り出せる魔法の冷蔵庫があったとしても、現実問題として「それ最高じゃん」とは簡単にはなりません。

食欲の赴くままに任せて永遠とスイーツを食べ続ければ、いつかは体に不調をきたしてしまいますし、その前に太ってしまいます。

ですので、無限にスイーツが食べれる環境であったとしても、自分の健康を保つためにはスイーツ以外の食べ物も摂取する必要があり、バランスの良い食事を心がけねばなりません。

最悪、ドクターストップになって全くスイーツを食べれない状況になってしまう可能性もあります。

欲望としては無限に食べたくても現実としては抑制が必要になってきます。

欲望を我慢することは即ち苦悩です。

欲望があり、それを叶える装置が現実に存在していても、それを100%活かすことは生体機能上、許されていないのです。

快楽を感じる機能を実装しておきながら、現実ではその快楽を手放しに完全に満たすことは不可能なのです。

むしろ快楽を抑圧するための苦痛を味わうために快楽が存在しているといっても過言ではありません。

これこそがこの世が一切皆苦であることの証左です。

すみません、話が飛躍しすぎました。

快楽が存在するからといって、それが無条件に喜ばしいものとは限らないわけです。

快楽を抑制するためにもそれなりの苦悩が発生しており、その苦悩は快楽の影に隠れて見えにくくなっている分、より人を苦しめるのです。

コロナ禍を経験している真っ只中、人類の一番の敵になっているのは、なによりも快楽を抑制し続けなければいけない苦悩なのではないでしょうか。

Tag: 哲学