マイクロマネジメントおじさん vs ドキュメントおじさん
マイクロマネジメントをする人と、そんなことをしなくても大丈夫な人との差がどこにあるのか考えていて、一つの仮説を思いついたのでメモ代わりにここに書いておきます。
その差とは、自分が「情報」を所有することに価値を見出しているか、「情報」が誰でも利用可能な状態にあることに価値を見出しているかの違いです。
情報はしっかりと自分が所有しておくべきだと思っていれば、自然といろんな情報を自分の中に蓄えようとします。
蓄えるためには外から積極的に情報を集めないといけないですし、また、その蓄えた情報を外に提供しなければいけない機会も増えます。
はたまた、自分が情報を把握できていないという不安から過剰に相手に対して情報提供を求める機会も増えるでしょう。
その結果が、常に人から報告を求めるマイクロマネジメントおじさんとなるのです。
さらに、情報はマイクロマネジメントおじさんの頭の中に集約されているので、情報を引き出すために、おじさんに都度いちいち確認をしないといけなくなり、コミュニケーションコストがより爆増します。
表面上はマイクロマネジメントおじさんも「分からないことは何でも聞いてくださいね」とやさしく言ってくれます。
しかし、マイクロマネジメントはコミュニケーションコストが高すぎるし、なにより非効率です。
情報の所有に価値を見出している人の状況を図1に表しました。
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周りの人から情報を収集することにまず互いのコミュニケーションコストがかかっています。
そして、周りの人が情報を収集する際にも互いのコミュニケーションコストがかかります。
一部分にコミュニケーションが集中していて、明らかにボトルネックになりそうなのがみてとれます。
次に、情報が誰でも利用可能な状態にあることに価値を見出している人たちの図です。
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情報が一箇所に集まっているので、人と人とのコミュニケーションが不要になっていることがみてとれます。
こうなっていればマイクロマネジメントをする必要もありませんし、誰かがボトルネックになることもありません。
そして、この一箇所に集約された情報を「ドキュメント」と呼ぶのです。
じつは、我々の日常にもドキュメントはたくさん潜んでいます。
日常生活に頻出する最高のドキュメント、それは「メニュー」です。
ある定食屋に入ったとして、その時のコミュニケーションパターンが図1だったとしましょう。
その場合、まず店員にそのお店で提供している料理がなんなのか尋ねないといけません。
当然、聞かれた店員はそのお店で提供している料理を全部教えてあげないといけません。
このやり取りだけで、店員もお客さんも互いにものすごく時間を浪費することになるでしょう。
お客さんが常に一人だけならまわりますが、何組も同時に来店すれば、あっという間にメニューを聞くために待たされる客が発生するでしょう。
そこで図2です。
お店の人は最初に、店の料理のラインナップの一覧を紙に書いておけばいいのです。
そして訪れたお客さんはいちいち店員に聞かなくても、その紙を見るだけで何を食べるのか決めることができます。
この紙が図2でいうところの大きい情報であり「お品書き」なのです。
情報を自分が保有していれば、自分がたくさん必要とされるし、自分を経由する作業もたくさん発生します。
仕事をやっている感は存分に味わえるでしょう。
しかし、効率化の観点からみれば、情報は外に出して誰でも利用できるようにしておくほうが良いのです。
定食屋を経営していて「メニューをお客さんに伝える係」をいちいち雇おうと思う人なんていません。
そんなことに人件費を使っている余裕はありませんし、お店の回転率も下がります。
そもそも、IT化とは人と人とのコミュニケーションを減らすことです。
最近の飲食店ではタッチパネルの導入も進んでおり、もはや注文すら人とのやり取りが不要になっています。
情報を人間から引き剥がした場所に集約し、人間同士の直接的なやり取りを減らすことがIT化であり、それが効率や利便性を生むのです。
ただ、その副作用として感謝の気持ちが減ったりはします。
だから、マイクロマネジメントを通じて感謝のやり取りをしたいし、頼られてる感を味わいたいのです。
逆に、ドキュメントに自分の知識を全部吐き出してしまうと、自分の存在意義がなくなってしまうんじゃないかと不安が発生するのでしょう。
この文章を書いていて、情報の専有と情報の共有の対比が『伽藍とバザール』(翻訳者には悪いですが、このタイトルは大失敗だと思います。まだ「カテドラルと市場」のほうが100倍分かりやすい)の構図に似ている事に気づきました。
知識を独占する中央教会と、市井のみんなで積極的に情報を共有する市場。
人々が活発になり社会が発展していくのはどちらでしょうか。
当然、後者でしょう。
オープンソースが今のインターネット社会を支える礎になっていることは疑いようがありません。
そう、情報は積極的に外に出していったほうがいいのです。