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文章量:約1500字

言葉のエントロピー

言葉に消費期限があるのと同時に言葉にはインフレもあるようです。

昔に同じ言葉でも人によって解釈が変わってくる趣旨の文章を書きましたが、言葉は誰に対しても常に同じ意味で解釈されるわけではりません。

言葉は時間経過とともに、みんなに使い倒されるほど、その意味が薄まっていきます。

その証拠に、同じ言葉を何回も何回も使っていくうちに、どんどん言葉に形容句が継ぎ足されていく傾向があります。

最初は「申し訳ありません」だけであったものが「本当に申し訳ございませんでした」「心から深くお詫び申しあげます」「この度は私の未熟さによる(〜中略〜)申し訳ありませんでした」といったように。

ただ「申し訳ない」と思う感情を伝えるためにかなり言葉を装飾しないといけなくなっている現実があります。

さらに言うと、ここまで言葉を継ぎ足しまくっても、その言葉を額面通りに受け取ってくれるわけでもありません。

何故こんな事になっているかというと「申し訳ない」をみんなが気軽に使いすぎた結果、その言葉がハイパーインフレを起こし価値が暴落したためです。

ゴールドのように希少な存在であれば価値は保たれますが、ジンバブエドルのように量産しすぎるとただの紙切れに価値が下がります。

言葉も通貨と同じく、流通量が増えるとインフレを起こすのです。

謝るシチュエーションにとどまらず、他のあらゆるケースで日常的に「本当に」「マジで」「死ぬ気で」「誠心誠意」「真摯に」「心の底から」といった形容詞が無遠慮に付加されています。

「頑張る」という言葉も最初は本当に「頑張っている」時に使われたのでしょうが、現代だと「死ぬ気でダイエット頑張る!」と聞いても「1週間も持たねぇな」ぐらいの冷めた気持ちで受け取るか「頑張れー」と適当にその場だけのノリで受け流すかのどちらかでしょう。

頑張りを褒めることの害悪について書いた通り、そもそも発した「言葉」そのものには価値がないのです。

価値が発生するのはその言葉を現実の「行動」に移したときだけです。

頑張ると言ったら本当に頑張らないといけないのです。

それをスポイルして、行動の表明だけしておいて、そこでかまってもらったことに満足して、その後ちゃんと行動に移さないから「頑張る」という言葉の価値が毀損されたのです。

言葉は言うだけならタダなのでいくらでも言い放題です。

自己啓発の一種で「なりたい自分の姿を想像し、それを言葉にする」というのがあります。

よくTVでオリンピック選手が未来の自分に向かって「金メダルおめでとう、よく頑張ったね」と言ってるやつです。

本来なら本番競技が終わる時が来るまでは、その人が金メダルを取れるかどうかは分かりません。

にもかかわらず、金メダルと取ってしまったことにするのは言葉に対するある種の冒涜です。

言った以上、必ずやり遂げなければなりません。

しかし、金メダルどころかどの色のメダルも取れなかったとしても該当の発言の責任を取ることはありません。

金メダルを取れなかった時点でどうあがいても責任は取れないのですが。

いってみれば、こういった『思考は現実化する』系の自己啓発により言葉が毀損され続けているのです。

自己啓発といえば聞こえはいいですが、ようはただのエゴイズムにすぎません。

人類の共通財産である言葉の価値を犠牲にしてでも自分を願望を叶えようとするさまはエゴそのものです。

このように、発した言葉とその後の行動との乖離が積み重なって、あらゆる言葉は日々意味を薄めているのです。

ただ我々は日々意味を薄める言葉に対して何も手を打っていないわけではありません。

インフレがあるならデノミで通貨を切り下げるかのように、言葉も新しいものに切り替えればいいのです。

また、語彙を増やして言葉の言い回しをより具体的にする方法もあります。

語彙力の高さや具体的な言い回し、新しい概念用語が人々の心に刺さりやすいのはインフレして価値が下がった言葉ではなく、まだ価値が毀損されていないできたてほやほやの表現だからです。

Tags: コミュニケーション,