< 物乞いと托鉢 | プログラマーがコンパイルしているのはコードじゃなく人間 >
文章量:約2700字

疑問の言語化には前提知識が必要

「分からない事があったらなんでも聞いて下さい」や「他に何か質問はありますか?」と言われて、その場では特に聞く事が思い浮かばなくて「でも後で疑問が沸いた時に改めて聞くのめんどくさそう」と思った経験はないでしょうか?

今回は、語彙知識とそれにまつわる文脈(コンテキスト)が一定ラインまで消化吸収できていない人に分からないことを聞いてはいけないよ、という話をします。

そもそも本当に聞く必要があると思えば、相手から催促されなくても、その時点でこちらから質問を投げかけるはずです。

疑問が思い浮かばなかったということはすなわち疑問が思い浮かばなかったということなのです。(進次郎構文)

しかし、諸行は無常です。

人の持つ知識や情報は常にアップデートされ続けていくものです。

その過程で、ある情報とある情報がかけ合わさったタイミングで情報の齟齬や欠損を認識する事ができ、そこで初めて疑問が生まれるのです。

把握している情報量が少なすぎる時点では、大まかな全体像も分からなければ情報同士の関係性も分かりません。

自分が何も分からないことは分かりますが、それ以上のことは分かりません。

情報の齟齬や欠損を認識するのにも、ある一定量の前提知識が必要となるのです。

ですので、あらゆる知識の吸収や理解は、段階を踏んで徐々に徐々に行なっていくべきものなのです。

小一の子供にいきなり微分方程式を教えても、一部のギフテッドを除けば誰も理解できないことは皆さん想像できると思います。

足し算をやって、引き算をやって、九九を覚えて掛け算をやって、割り算をやって・・・・と段階的に知識を積み上げていった先に微分方程式があるのです。

100をまとめて伝えて、その100が丸ごとそのまま相手に理解されることはありません。

まず1から始まり、2、3、4・・・・と一つ一つ積み重ねていった先に100があるのです。

4の人にいきなり78を伝えても相手はそれを受け入れる土台がまだできていないのです。

算数の例えだけだとアレなので、国語と社会でも例えましょう。

言葉を覚え始めた幼児に対して「おお、うちの子が喋れるようになったぞ。じゃあ、パパはアメリカの政治思想に詳しいから、アメリカの政治思想で疑問があればなんでも聞いてごらん」と言ったとしましょう。

それを聞いた100人中1000人ぐらいの人が「このお父さんはバカなのかな?」と思うことでしょう。

「パパ・・ママ・・」ぐらいの発声ができ始めた子供は、言葉を喋ったとしても、その意味を理解するのはまだ先の話です。

さらに他の語彙を習得していくのはもっともっと先の話です。

なんだったらその辺の道に歩いている大人に「アメリカの政治思想で疑問があればなんでも聞いて下さい」とインタビューしたとしても、ほとんどの人は何も疑問や質問など思い浮かばないでしょう。(というかほとんどの人はそんなことに興味がないからどうでもいい)

なんとかそれっぽい質問をひねくり出せても「そもそも民主党と共和党は何が違うんですか?」ぐらいだと思います。

それですら、アメリカは2大政党制(two party system)であり、それぞれの政党が共和党と民主党である、と知っていなければいけません。

そもそもアメリカ政治思想にそれなりに詳しいレベルの人間であれば、疑問に思って知りたいと思ったことは自分で勝手に調べるはずです。

このように、相手から疑問や質問を引き出したいのであれば、相手にそれ相応の知識と関心が宿っている必要があるのです。

今回はさらに奮発して図画工作でも例えましょう。

次の図を見て下さい。

【図1】

これは以前、無知の知を説明する時に使った図です。

知識が増えるほど、自分が分からない事を認識できる量が増えることが分かります。

ちなみに、知識量の少ない子供はなんでも疑問を口にして、知識量が多い大人はあまり疑問を口にしないので「逆なのでは?」と思うかもしれません。

これは、子供は大人よりも知識量が少ないので一つ一つ湧いて出てくる疑問を逐次解決しようとしていけますが、大人になると人間社会が抱えている情報量があまりにも多すぎることを認識するので、いちいちそれらに疑問を持って解決しようなどとは思えなくなるからです。

スマホでゲームが動いている仕組みを物理から通信まで全てを完璧に理解しようとするだけで人生が終わってしまいます。

そういった意味でも知識量が増えると分からない事を認識できる量は増えるのです。

それを踏まえて、次の図を見て下さい。

【図2】

ベテランの人は仕事や業務について当然たくさんの知識を持っています。

入りたての人は担当する業務に対して知識を吸収していっている段階です。

この時点でベテランの人が「分からない事があったらなんでも聞いて下さい」と言ったところで新入りの人が疑問を認識できるのは青い点だけです。

赤い点に辿り着くためには、もっと前提知識を増やして円を大きくしないと、それについて質問することはできないのです。

先ほどの喋り始めの幼児の話で再度例えると、両親に対して「パパ?」「ママ?」と確認はできますが、そこからアメリカの政治思想に辿り着くためには、人間という概念を知り、国という概念を知り、政治という概念を知り、思想という概念を知り・・・・とさまざまな知識を知った上ではじめて「共和党とは何か?」と問えるのです。

マイクロマネジメントおじさん vs ドキュメントおじさんでも書きましたが「分からない事があったらなんでも聞いて下さい」という状況が発生している時点で、自分から非効率を認めているようなものです。

「分からない事があったらなんでも聞いて下さい」は優しさではなくただの怠慢です。

昨今流行りの心理的安全性では、気軽に誰にでもなんでも聞きやすい職場環境が理想となっていますが、自分はそれはちょっと違うと考えています。

今までで書いてきた通り、あるレベルの疑問を認識するにはそのレベルまで達する必要があります。

そして逐一湧いてくる疑問をいちいち人に聞かなければいけないということは、成長をフォローしてくれる受け入れ側の体制が整備されていないということなのです。

先ほどの図で、仮に新入りの人が赤い点の部分を全て人から聞いて吸収しないといけないのだとすれば、新入りの人は「結局全部人に聞いちゃったし、自分の理解力が低いのかな…」となってエンジニアあるあるの「みんなはすごいのになんで自分はダメなんだろう……」となってしまいます。

これが全て適切なオンボーディング環境やドキュメントでフォローできれば、新入りの人も知識の輪がベテランの人と同じ大きさになる頃には「自分もこの現場でやっていけそう」となるのです。

相手の質問をなんでも受け付ける懐の深さよりも、知識の輪を自然に拡張していける環境を整備する方が大事なのです。

Tags: 仕事, コミュニケーション