< プログラマーがコンパイルしているのはコードじゃなく人間 | アリストテレス vs ホッブズ >
文章量:約2300字

オレオレコンテキストおじさん

「言語化をサボる人」というまとめ記事を読んでいて、その表現だとまだ正確に言語化できていないのでは?と思ったので、そのことについて書き殴っていきます。

まず最初に、前提として「言語化」はみんなが思っているよりも難易度が高い行為です。

普段の我々のやりとりは言語化ではなく、頭の中にある語彙をいい感じに組み合わせていい感じに発声しているだけのパズル&リズムゲーに過ぎません。

パズル&リズムゲーがうまくプレイできれば相手との良好なセッションが奏でられます。

似たようなことを以前にも書きましたが、コミュニケーションと抽象的な概念を言語化することは別なのです。

当ブログでは本一冊分以上の文章が書き溜めてあります。

それだけ文章を書いてきた自分でさえ、多分、皆さんよりも言語化や文章を書く行為は難しいという認識を持っています。

どこまで分かりやすく文章を書いたとしても、頭の中の思考を十全に表現できた、と思えることはありませんし、読んだ人全員に伝わるとも思っていません。

それはなぜかというと、自分は言語化にあたってちゃんと主語やコンテキストを認識しているからです。

主語やコンテキストを含めて、しっかり相手に伝わるように言語化しようと思ったら、その分、より面倒になるし、全ての人間の脳内コンテキストに合わせて文章を書くのは不可能だからです。

例えば、「マック」だけだとマクドナルドなのかマッキントッシュのことなのか分かりません。

マックを正確に伝えるためにはコンテキスト(言葉の背景)を明確にしなければなりません。

さらにマクドナルドはともかくマッキントッシュを知らない人はそれ相応にいると思われますから、そこを考慮するとより詳細に説明する必要がでてきます。

この辺の話は等しいのスコープふわふわ時間をお読みください。

そういった意味で言語化は難しいし面倒くさいのです。

さて、冒頭の記事によると言語化をサボる人は、主語を抜き、理由を省き、具体例を考えない人らしいです。

お金をもらいながら仕事をしているのに「そんな奴おれへんやろ〜」と思いますが、これが実際に仕事をしているとそれなりに存在します。

しかも、自分の経験則で話すのなら、偉い立場の人ほどその傾向が強い気がします。

「んなアホな」と思うかもしれませんが、そうなのです。

そして、そうした人たちは自分が言語化をサボっている人間などとは露ほども思っていないのです。

それはなぜかというと、偉い人は偉いので、仕事上、たくさんの人とたくさんのお話をしているからです。

これだけ普段言語を操りながら人とやりとりしていて仕事を推し進めているのですから、そんな人が自分のことを「言語化をサボる」人間である、との認識など持たないでしょう。

で、いざその人と会話をすると、主語があやふやで話の文脈を全然考慮せず、その場の思いつきでそれっぽいことをそれっぽく喋ってきます。

挙げ句の果てには相手が言ったことを後日、その相手に報告すると「それはどういう事ですか?」と質問され、頭がポルナレフ状態になります。

偉い人は偉いので、きっといろんな案件を抱えていて、いろんなコンテキストをスイッチングしまくりながら忙しなく仕事をこなしているのでしょう。

だから、一つ一つの案件(コンテキスト)を詳細には把握しきれないのでしょう。(自分は偉くなったことはないので知らんけど)

このように偉い人は偉いので、言語化をサボっているわけではないのです。

言語化はするが、そのためのコンテキストの認識が必要十分量に足りていないだけなのです。

複数のコンテキストを抱えながらそれを頻繁にスイッチングするのが日常なのですから、スイッチング自体にコストを割いてられないのです。

もしくはスイッチングコストに対するの認識がないか、です。

しかし、偉い人は偉いので部下に対して色々指示をしないといけないし、部下からの報告も色々聞かないといけません。

コンテキストの認識が薄い状態で言語化を試みようとするので、主語を抜き、理由を省き、具体例が出せない状態になるのです。

ですので、もう一度言いますが、言語化をサボっているのではなくコンテキストの認識が欠如しているだけなのです。

さらに、偉い人は偉いですから、叱られる機会もあまりありません。

ですので、偉い人の自己改善に期待するのは望み薄です。

偉いが故に、そういったある種の井の中の蛙状態に陥り、えてして大手からベンチャーに転職した人はローパフォーマーになりがちです。

そして、コンテキストの認識の欠如を自覚することは、作業そのもの(コンテンツ)を把握するよりも難易度の高い行為です。

「AをBにする」だったら、それをその通りにすればいいだけですが、「AをBにする背景(経緯)」となると、個人個人で微妙に認識がずれてきます。

大概の仕事において大事なのは作業そのものよりも「その作業により何が解決されるか?」の方です。

Yを実現するために「AをBにする」タスクが発生したものの、実際は「CをDにする」方が正しい、みたいなことはよくあります。

「Yを実現する」がコンテキストで、「AをBにする」はそれを解決するために考えた手段でしかありません。

そして 「Yを実現する」コンテキストがあやふやだと、個人個人で「EをFにした方がいい」とか「GをHにした方がいい」といった作業認識もバラバラになってきます。

そういった人たちでミーティングを行うと「会議は踊る、されど進まず」となるのです。

オレオレコンテキストおじさんたちが好き放題話し合っても、各々のオレオレコンテキストの差分がコンフリクトを起こし、いつまで経ってもマージ不能状態が解消されません。

仕事を進める前に、まずはみんなの中のイマジナリーコンテキストを集約して、明確に文章化した「ワンピース(ひとつなぎの大コンテキスト)」を定義すべきなのです。

Tags: 仕事, コミュニケーション