< レビューと心理的安全性 |
文章量:約2400字

プロジェクトは芸術でありそれゆえ爆発する

仕事におけるプロジェクトの推進やシステム開発など、そういった組織だった営みは合理的かつ論理的に行われていると、ほとんどの人は漠然と考えているように思う。

仕事にまつわる大体の概念やモノはすでに規格化されており、マネジメントや方法論も学問として体系化され、書籍化され、教育もされている。

そこまで整っているのだから、それらの知識体系を適切に組み合わせて実践すれば、基本的にプロジェクトは失敗しないように思われる。

よほどの料理音痴でもない限りレシピ通りに料理を作れば、その料理が出来上がるのと同じように。

しかし、現実はどうだろうか?

どれだけ優れたエンジニアを揃えても、どれだけ高学歴の人材が存在したとしても、どれだけ綿密に計画を立てても、プロジェクトは炎上する時は炎上する。

納期は遅れ、予算は超過し、品質は妥協され、時には完全に頓挫する。

どちらかといえば、うまくいかない方が日常茶飯事なのはなぜだろうか?

学問や科学を土台にし、常日頃から「科学的根拠」を礼賛しているのだから、成功が当たり前になっていないことが逆におかしくないだろうか。

もし本当に仕事におけるプロジェクトの遂行が、科学や学問をベースにしているのなら、もっと成功率が高くてもいいものである。

化学が前提なら、基本的に同じ条件で実験すれば同じ結果が得られるはずだ。

しかし、現実では同じ要件であっても、対応する組織によってまったく異なるアウトプットが生まれる。

あるプロジェクトは順調に進み、別のプロジェクトは泥沼化する。

なぜそうなるのか?

答えは単純だ。

私たちが学問だと思い込んでいるものの多くは、実は芸術だからである。

音階の概念は学問だが、それらを組み合わせて生み出される楽曲は芸術だ。

色相は科学だが、それらを組み合わせて生み出される絵画は芸術だ。

だから、昔私がビジネスパーソンでしかないデータサイエンティストをデータアーティストと称したのはそのためだ。

我々は学問と芸術(「知識」と「教え」)の違いをあまり意識していない。

システム開発を例にすると、まず、その土台となるコンピューターサイエンスは確かに学問だ。

計算量理論、形式言語、暗号理論、これらは厳密な数学的基盤の上に成り立っており、再現可能で検証可能な知識体系だ。

しかし、サービスの開発や運用は違う。

それは圧倒的に芸術に近い。

楽天やAmazon、ネット証券や銀行のインフラは学問でも科学でもない。

これはサグラダファミリアと同じく、実体を伴う世に具現化した精巧なアート作品なのだ。

あまりにも日常に溶け込みすぎているため、それをアートだと認識していないだけだ。

あらゆるシステムにおいて、どの技術スタックを選ぶか、どんなアーキテクチャを採用するか、どこまで品質にこだわるか、いつリリースするか、これらの判断に正解はない。

厳密に言えば正解は存在するが、正解が存在するのは正解したその瞬間のみである。

正解に至る道筋には、状況に応じた感覚的な判断、経験に基づく直感、チームの価値観やセンスが深く関与している。

前回書いたように、そもそもプログラミングもロジックではなくアートだ。

デザインは日本語で表現すると「設計」だが、もとは「意匠」という意味も含んでいる。

つまり、プログラミングとは工学であると同時に意匠なのだ。

デザインパターンの選定、変数の命名、関数の分割、抽象化のレベル、これらすべてに作り手の経験からくるセンスと美意識が表れる。

そして、センスや美意識に絶対的な正解はない。

前回言及したレビューでのやりとりは学問的な議論ではなく、芸術的価値観の衝突、いわゆる音楽性の違いが表出しているだけなのだ。

こういったことは仕事全般についても言える。

学問や科学は道具としては使うが、最終的な成果は人々の芸術的センスに委ねられている。

企画書を書くこと、プレゼンテーションをすること、顧客と交渉すること、売り上げを上げること、これらで成果を出すことはマニュアル化できない芸術的営みだ。

営業トークのテンプレートを完璧に暗記しても売れない人がいる一方で、型破りなやり方で次々と契約を取る人もいる。

それは、その人が持つ独自の感性や人心を掌握する魅力やカリスマ性、つまり芸術的才能の差なのである。

学問と芸術の決定的な違いは、結果の予測可能性にある。

学問は普遍的な正解を追求する世界である。

しかし芸術の世界では、どんなに理屈や筋が通っていたとしても普遍的な正解など存在しない。

ピカソのキュビズムのように、一見現実を歪めたような表現が逆に評価を得たりする。

実際に世に出して、世間の反応を見るまで、その価値は確定しない。

仕事もまったく同じだ。

どれだけ綿密に市場調査をしても、どれだけ優れた技術を投入しても、実際にリリースして顧客の反応を見るまで、成功するかどうかは分からない。

試験問題であれば事前に正解は存在するが、芸術には正解はおろか模範解答もない。(芸術ではなく美術であれば別だが)

プロジェクトが爆発する理由は、まさにここにある。

私たちはプロジェクトを科学的なアプローチで管理しようとする。

ガントチャート、KPI、進捗率、これらの指標で計画を立て、進捗を測定し、問題を早期発見しようとする。

しかし、プロジェクトの本質が芸術である以上、こうした科学的管理手法には限界がある。

芸術作品の制作過程を数値で管理できないように、プロジェクトもまた数値だけでは捉えきれない。

チームの雰囲気、メンバー間の信頼関係、モチベーションの高低、時代の潮流、これらの目に見えない要素が、プロジェクトの成否を大きく左右する。

そして、人間関係や認識の統一に数学的な正解などない。

それは芸術的なセンスとタイミング、人との相性、時には運によって成立する。

だから、芸術と同じくプロジェクトも爆発する。

そして、芸術である以上、完璧なコントロールなど不可能なのだ。

学問は不確実性から確実性を抽出する営みであるのに対し、芸術は確実性ではなく人の感情を抽出する営みなのだから。

Tag: 仕事