本を売るということ
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エーリッヒ・フロムの『生きるということ』を読んだ。
彼の代表作である『愛するということ』的な内容を期待して読んだので、人生についての何かしらのアート(技術)の定義と実践が書かれているのかと思っていたら、中身は難解な現代社会分析だった。
原題は『To Have or to Be?』である。
直訳すれば「持つことか、あることか」。
本の内容は原題の通りで、現代社会において優位となっている「持つ様式」を痛烈に批判し、人間が本来営むべき「ある様式」への転換を説いている。
『愛するということ』で「愛」について鋭い切り口で語ってくれたように、本作でも「人生のありよう」について深みのある言説があるのかと思いきや、そういった内容はほぼなかった。
しかも、もう一冊の代表作である『自由からの逃走』と比べても中身は某文庫の古典レベルで難解である。
未読の方向けに補足すると、「持つ様式」とは、知識、財産、社会的地位、さらには人間関係や愛情までも「自分の所有物」として獲得し、消費し、ひたすら執着し続ける生き方である。
一方の「ある様式」とは、何かを獲得するのではなく、世界と深く関わり、経験そのものを味わい、今この瞬間を能動的に「生きる(存在する)」というあり方だ。
要するに、現代人は「持つこと」ばかりに囚われて精神を病んでいるから、「あること(存在すること)」へとシフトしなければ人類は危うい、という話である。
ものすごく雑に書くと、欲望としがらみだらけの「持つ様式」からマインドフルネスで解放されて「ある様式」になってスッキリ!だ。
フロムも、自分が当ブログで度々言及している仏陀(お釈迦様)の思想から影響を受けているらしく、「ある様式」は十二縁起の滅尽の思想にも通じる内容になっている。
内容自体は非常に示唆に富んでおり、なるほどと思わせる部分もあるし、そうでない部分も多々ある。(例えば、今流行りのドパガキは「持つ」より「ある」に近い概念であり、「持つ」と「ある」で分別することそのものに無理があるのでは?とか)
だが、読み終えて強く感じたのは、内容に対する感銘よりも、この本を取り巻く強烈なタイトル詐欺感だった。
なぜ原題の『To Have or to Be?』を、『所有と存在』や『持つ様式、あるいはある様式について』とせず、わざわざ『生きるということ』などという、『愛するということ』の続編であるかのような邦題にしたのか。(ちなみに『自由からの逃走(原題: Escape from Freedom)』は別の出版社)
理由は考えるまでもない。
その方が「売れる」からだ。
フロムには、世界的に有名な大ベストセラーとなった代表作『愛するということ(原題: The Art of Loving)』がまずある。
要するに出版社は、この大ヒット作のタイトルフォーマットに露骨に乗っかってシリーズ化(ブランド化)を演出し、「愛するということ」のファン層をそのまま取り込もうとしたのだ。(『自由からの逃走』からもじって『所有からの逃走』だったらまだいくらかマシだったかも)
現代では、哲学や思想でさえも「明日から使えるライフハック」や「教養という名のアクセサリー」としてファストフードのように消費される。
多くの読者は、「フロムの名著を読んだ」という知的ステータスを”所有”するためであったり、「人生を良くするための知識」をツールとして”獲得”するためにこの本を読む。
メディアや出版社は、人間のそういう「手っ取り早く何かを持った気になりたい」という怠惰な欲望を完璧に理解しているからこそ、あのようなキャッチーで誤解を招くタイトルをつけて売り出すわけだ。
ここに絶望的な矛盾が存在している。
フロムは本の中で「持つ様式(消費者の欲求)」を徹底的に批判し、「ある様式」の尊さを説いている。
にもかかわらず、読者自身がガッツリ「持つ様式」のままで本を消費し、出版社もその欲望をフルに利用して売り捌くという、グロテスクな二重の矛盾がそこには発生しているのだ。
人間の読解力や内省する力をハナから見限り、「どうせ中身なんて深く考えないんだから、それっぽいタイトルで包装して売ってしまえ」というメディアの姿勢は、フロムからすれば徹底的にシニカルで邪悪であると思われる。
フロム本人がこの邦題と売り出し方を知ったら、苦笑いするか、「ほら見なさい、これがまさに私が本の中で警告した『持つ様式』に支配された社会の姿だよ」と、自説の完璧な証明としてため息をつくことだろう。
さらに(フロムにとって)絶望的なのは、読者の側の反応である。
自分のように資本主義(出版)を介した構造的矛盾の発露を読み取った上で、書籍の内容と現実で起きていることを顧みて、「気づき」を得ていればまだ救いはあったのかもしれない。
しかし、読書メーターやAmazonのレビューを色々と読んでみたが、この構造的な矛盾を突いている感想は皆無だった(AI調べ)。
「タイトルと中身が違った」という不満や、「自分の中にも持つ様式があって耳が痛い」という反省文は散見されるが、「持つ様式を批判する本が、持つ様式のマーケティングで売られている」というメタ構造のバグに言及している人は一人もいない。
これはつまり、世の中のほとんどの人間は、与えられた「コンテンツ(本の中身)」を消費することしかできず、それがどのような「コンテキスト(売られる枠組み)」に乗って自分の目の前に提示されているのかを読み解く力がないということだ。
コンテンツを消化して取り込む(知識を持つ)ことはできるが、現実のコンテキストの存在(ある様式)に気付けない時点で、この本の価値に疑問符を持たざるを得ない。
コンテンツに没入して感動するのも結構だが、たまには一歩引いて、そのコンテンツが置かれている「構造」そのものをメタ的な視点で俯瞰してみるといい。
そうすれば、注文の多い料理店のごとく、自分が食べる側だと思っていたら実は調理される側だった、という滑稽な構造が見えてくる場合もあるかもしれない。
そういう視点でみれば、この文章自体もまた、書籍を紹介するマーケティングに加担しているだけなのだ。