完成までのファイナルディスタンス
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実はここ一年ほど、このブログの文章は一度AIに全文のベースを書いてもらい、それを元に自分でブラッシュアップして仕上げるという形をとっています。
さらに最近だと、自分があるテーマをAIに振って、そこからAIとのやりとりを重ねて、その結果をまとめて記事のベースにしています。(このエントリがそうです)
AIが吐き出す最初の文章は、文法的に正しく、論理も通っており、非常に綺麗にまとまっています。
何もないゼロの状態から「それっぽい90点」の雛形をわずか数秒で出力する能力において、もはや人間はAIに太刀打ちできません。
しかし、AIの出力した「90点の文章」をそのまま自分の文章として公開しようという気には絶対になりません。(過去に一度ほぼそのままの文章を出したことがありますが、他人からすれば自然に見えるのかもしれませんが、個人的には自分の文章ではないという感覚が拭えません)
なぜなら、自分を学習させてからアウトプットしてもらったのにも関わらず、そこに自分の核というか、魂のようなものを全く感じることができないからです。
もしくは微妙に自分の経験と感覚からズレているのを感じるからです。
この現象は、文章作成に限った話ではありません。
たとえばシステム開発であっても、AIは美しく高度なコードを爆速で吐き出しますが、それが「賢すぎる」がゆえに、現場の人間が後から保守・運用しようとした時に理解が置いてけぼりになる(ブラックボックス化する)という問題を引き起こします。
過去のコードのツケとの泥臭い辻褄合わせや、生身の人間が運用できるレベルにまで意図的に「賢さを落とす(分かりやすくする)」といった、現実社会と地続きの調整作業がすっぽりと抜け落ちているのです。
個人開発ならいいでしょうが、チーム開発となるといくらAIが凄くても、人間の統率をとることまでは無理です。
話を文章作成に戻しても、構造は全く同じです。
論理的に正しすぎる綺麗な文章は出てきますが、読者の心にゾワッとしたしこりを残すような絶妙な「毒」や、現実社会ならではの「暗黙の了解」や「世間の流行り」を含ませることができません。
賢く、よくある教訓めいた無難な結末に落ち着こうとするのです。
AIは過去の膨大なデータから「次はこういう展開が来る確率が高い」という予測を立てることはできても、人間が現実世界で生きて、経験し、皮膚で感じたことのある「生身の体験」を持っていません。
だからこそ、体裁を整える「90点」までは異常な速度で到達できても、圧倒的な実用性や人の心を動かすための「最後の1割」を埋めることがどうしてもできないのです。
私自身がAIの生成した文章に感じていた「何かが足りない」という感覚の正体は、ここにあります。
これは物流や通信ネットワーク、あるいはシステム開発の世界において、目的地の直前である最後の区間のコストや難易度が指数関数的に跳ね上がる「ラストマイル問題」と全く同じ構図です。
現在のAIシステムにとって、この90点から100点へ至る最後の1割こそが、最も遠く、深く立ち塞がる「ファイナルディスタンス」に他なりません。
厄介なことに、AIの出す80点〜90点のアウトプットは「完成品として成立している」「なんか良さそう」と思わせる強い魔力を持っています。
昔であれば、自分で書いた文章が下手なら「下手だから直さなきゃ」と自覚できましたが、AIが一瞬でそれっぽいものを出してくると「まあこれでいいか」と思考を乗っ取られやすくなります。
逆に言えば、AIが生成したアウトプットを見て、この「ファイナルディスタンスの違和感」を全く感じない人たちがいるのです。
彼らは大きく分けて2つのパターンに分類できます。
一つは、そもそも「100点(本物)」の基準を持っていない人です。
自らの手で血肉を削って100点のアウトプットを出し、誰かの心を深くえぐったり、実社会の泥臭いトラブルを解決したりした「生身の経験」がないため、90点と100点の間に横たわる決定的な違いが見えていません。
もしくは、その業界のトップオブトップスに触れたことがなく、100点に満たないものを100点と誤認しています。
もう一つは、「現実の矢面に立っていない人」です。
自分がAIに作らせた成果物が現実社会でどう機能し、どんなエラーを起こすかという「最終的な責任」を背負っていません。
責任の範囲が「とりあえず提出するまで」で切れているため、最後の1割(人間の理解の追いつかなさのフォローや、泥臭い文脈のすり合わせ)が欠落していても痛くも痒くもないのです。
AIの吐き出す長い文章をそのままチャットに貼り付けてしまうような人は、それを読む人の解釈コストの支払いを踏み倒しています。
世間はAIが90点を爆速で出せることに熱狂し、違和感を持たない人々はそれをそのまま垂れ流します。
しかし、現実社会において価値が発生するのは常に「100点として完成しきったアウトプット」だけです。
80点や90点あったとしても100点でない商品は不良品として扱われ、市場から弾かれます。
「2、3本くらいチョコのかかってないポッキーが入ってても大丈夫やろ」とはなりません。
建築において素材の長さが一つでも違えば建物は建たないし、プラモデルでもパーツが一つ足りないだけで完成品を拝むことが叶わなくなります。
100のうち99が完璧でも1が欠けていればそれだけで全部がダメになることは往々にしてありますし、それはAIにとっても例外ではありません。
さらに、100点に満たない作業の積み重ねはより厄介な問題を生み出します。
9割という数字は、単発だと1に近いですが、それらがたくさん掛け合わさってくるとどんどん1から離れていきます。
0.9を3回掛け合わせるだけで0.72になり、10回だと0.35、20回だと0.12まで下がります。
自分では1だと思い込んでいるものが、気づけばそのほとんどが消失している、ということになるのです。
この時の想定と実際の認知差が、「認知負債」と呼ばれるものに他なりません。
これからの時代、AIを使う上での決定的な分水嶺になるのは「良いプロンプトを書けるか」ではありません。
AIが出してきた無難な答えに対して「なんか違う」という言葉の違和感を拾い、原因を言語化し、自分の感覚に置き換えられるかどうかです。
先月のショートショートも当然AIに作らせたもの(もちろん最初のベースのストーリーを出力するために何回もリテイクをかけています)ですが、自分でも少し表現に赤入れをしています。
「アンドロイドからiPhoneへ無理やりデータをやり取りする」という表現はもともと「異なるOS間のデータ変換」というAIが生成した言葉を、自分なりに言い換えたものです。
ここで「いや、なんかこの表現微妙だな」と感じ、自分がより日常感のある表現に置き換えて、読み手のアンテナにフックするような言い回しにしました。
このように、「意味は合ってるけど、この言葉じゃない」「論理は通ってるけど、なんか薄い」という細かいズレを拾える人間だけが、AIの出力を合格点まで磨き上げることができます。
AIが誰でも使えるようになったことで、表面的には人間同士の能力差を埋めているように見えます。
しかし現実は逆です。
AIの出力に対して違和感を持てる人間と、違和感を持てずにそのまま採用してしまう人間の差を、AIは残酷なまでに増幅・拡大させる装置になります。
真のAIリテラシーとは「AIに何を聞くか」ではなく、「AIの答えに何を感じるか(どこを疑えるか)」に移行していくのです。
AI単体で100点を出せない以上、結局一番しんどくて重要な「最後の仕上げ(ラストマイルの走破)」は人間がやらなければなりません。
AIが出してきた90点のアウトプットに満足せず、足りない10点の粗(あら)を正確に見抜き、人間の理解できる範囲に落とし込み、現実の泥臭い要素を注入して、魂を吹き込むのです。
人間が「ゼロイチの案出し」や「ベースの構築」という9割の労力をAIに任せてショートカットできるようになった分、我々は残ったエネルギーのすべてを「ファイナルディスタンスを飛び越えるための1割」に注ぎ込まなければならないのです。
逆に、9割のアウトプットをそのまま積み上げている人は、ラストマイルの走破をサボっている上に、不良品で賽の河原の石積みをしているだけなのかもしれません。