情報はタダでも、やり取りはタダじゃない
過去に何回も書いてきましたが、現代は情報社会で、一昔前と比較しても世間には大量の玉石混交の情報が転がっています。
コンテキスト消費社会や知識と意思決定、"智慧" = "分別" > "経験" > "知識"で書いてきた通り、私は情報そのものの価値に対して懐疑的です。(情報量と説得力で書いたように量が大事なケースもあります)
情報が世間に氾濫している分、真贋(しんがん)や良し悪しを抜きにすれば、情報を取得するコストはどんどん下がっています。
なんだったら何もしていなくても勝手に情報の方から自分に突き刺さってきます。
もはや情報過多です。
私たちが一日に接する情報量は平安時代の人たちの一生分あるらしいです。
それだからか、最近ではマインドフルネスのような断捨離がもてはやされていたりもします。
世間に流れる情報量が多くなった分、また、情報へのアクセスの容易さから、ほとんどの情報の価値は限りなくタダに近づいていっています。
近所の定食屋のランチタイムも、電車の発着時刻も、今月発売予定の新商品も、今日の大谷の活躍も、明日の天気も、全て無料で得られます。(電気代や端末代や通信費がかかってるやんけ、という揚げ足取りは無視します)
わざわざ自分から情報を取りにいかなくても、エンタメを消費しているだけで、広告を介して勝手に情報が自分の方に飛び込んできます。
よく考えてみると、我々が普段接している情報のほとんどは無料ですし、人との雑談も無料で得た情報(自身の体験、伝聞も含む)を元に話している場合がほとんどだと思います。
また、ソーシャルネットワークの発展により、一昔前より赤の他人との情報のやり取りも格段に行いやすくなりました。
そういった土壌の影響もあり、我々は無意識的に情報をとても軽く扱っています。
そう、情報そのものだけならそれでもいいのです。
しかし、情報単体だけでは、それ自体の良し悪しや真贋を見極められない場合もあるでしょう。
そこで、他人とのやり取りが発生します。
やり取りといっても、要は人と人が情報を交換し合うだけです。
先程書いた通り、我々は情報の価値について無意識的にとても安く見積もっています。
その延長線上として、情報のやり取りも無料に近いコストであると錯覚してしまっています。
だから、相手に対してちょっと確認したいだけであっても、それを断られたら「ケチ」だとか「誠意が足りない」といった感情を抱いてしまいがちです。
SNS上でよくあるのが「その発言のソース(根拠)はなんですか?」みたいなリプライをして、その返事がなければ「適当なこと言うな」と罵倒してしまうようなやつです。
情報が無料で手に入ることに慣れすぎて、返事をする相手の労力に思いを馳せることができなくなっているのです。
相手とのやり取りは"智慧" = "分別" > "経験" > "知識"で書いたところの、”知識”を”分別”に引き上げようとする行為です。
分別は知識よりも圧倒的に価値が高い商品です。
SNSや質問箱のようなサービスで著名人やインフルエンサーに対して一般人が質問や悩みを投げまくっている理由は、みんなが真に欲しているのは単なる情報じゃなくて”分別”だからです。
ものごとの良し悪しや善悪をキッパリと白黒はっきりさせて(主に白と言ってもらうことで)スッキリしたいのです。
その分別を、普段情報を受け取っているノリでそのままついでに手に入れてしまおうとするのは、とてもおこがましい行為です。
情報を得ようとしている人は、分別も情報の延長線上にあるただの情報にすぎないと軽く捉えています。
というか、”知識”と”分別”の違いを認識できていません。
情報と分別はピッチ(音程)とメロディー(曲)の関係に似ています。
音単体には価値も所有もありません。
「ド」は俺の音です、と言うこともできないですし、「ラ」単体の音に価値はありません。
しかし、それらを組み合わせてメロディーにすることで著作権が発生するし、楽曲として音に価値が生まれます。
情報もそれと同じく、それ単体ではあまり価値がなくとも、他人とのセッション(コミュニケーションや確認)を行うことで、一連の役立つ知識や分別としての価値を発揮するのです。
人とのやり取りも情報と同じくらい手軽に入手できるものだと思っている人は、いわば「音をただ組み合わせただけなんだから、その集合体の楽曲ももちろんタダだろ?」と考えているようなものです。
YoutubeなどのMVで音楽をタダで聞けたりはしますが、楽曲に価値が存在しないと考える人はいないでしょう。
そう考えれば、ただ単に情報を得ることと、他人とのやり取りで分別を得ることの間には雲泥の差があることがわかるでしょう。
コストの観点からしてもそうです。
取扱説明書やホームページのFAQで事前に用意された情報を見るのに第三者の追加コストはかかりません。
しかし、問い合わせやカスタマーサポートを頼ろうとすれば、そのやり取りをする相手の人件費が当然発生します。
携帯電話の大手キャリアの通常ブランドとスマホ専用ブランドのサービス価格を比べてみると分かりやすいと思います。
通常ブランドとオンライン専用ブランドでは利用料金に結構な金額差が発生します。
docomo、au、ソフトバンクの実店舗で契約するより、それぞれahamo、povo、LINEMOをオンライン上で契約した方がかなりお安くなります。
そして、実際の通信品質そのものに違いはありません。(docomoで契約してもahamoで契約してもSIMはdocomo)
では実店舗とオンラインで何が違うのかというと、有人サポートの有無です。(あとオプションの有無の違いもありますが)
メイン商品である通信そのものは同じサービスです。
人とのやり取りの有無だけでバカにならない金額のコスト差が発生しているのです。
JRがみどりの窓口を廃止しようとしているのもこういった理由があるからです。
みどりの窓口を利用する我々は別にみどりの窓口使用料を払っていませんが、実際に運用している側はかなりのコストを割いて運用しているわけです。
自分一人で情報を取得することと、相手とやり取りして情報を取得することの間には、それ相応のコスト差があるのです。
もう一つ例を出して説明しましょう。
Youtubeでユーチューバーの動画を観るのはタダです。
これは一方的に自分が情報を受け取っている状態です。
しかし、動画を見ていて気になる内容があったとしてユーチューバー本人に確認するのは容易ではありません。
HIKAKINやはじめしゃちょーの動画を観ていて、気になるところがあったとしても彼らに直接問いかけて回答を貰うことはほぼ不可能です。(めちゃくちゃ運が良ければコメントやSNS上で答えてくれるかもしれません)
このように、ただ単に情報を受け取るだけの行為と、相手とのやり取りを行おうとする行為の間には我々が思っている以上の距離があるのです。
情報を受け取るだけなら自分一人の時間が失われるだけですが、やり取りを行えば、当然、その相手の時間を消費することになります。
他人の時間を消費するにはそれ相応の対価を支払うのは当然です。
会社から残業を強いられたのにもかかわらず、残業代が支払わなければ誰だって理不尽に感じるはずです。
以上までで述べてきた通り、同じ情報の受け取りでも、一方的に受け取ることと、やり取りの中で受け取ることは全然別物として考えた方がいいでしょう。
このことからも、マイクロマネジメントおじさん vs ドキュメントおじさんの勝敗は明確となるのです。