< 有知蒙昧 | How To Do Great Work >
文章量:約2900字

人を動かす

先日、とある記事のタイトルをみて、久しぶりにワタミ構文を思い出しました。

その構文とは「無理というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃなくなります」です。

言わば「成功するまでやり続ければ失敗は存在しない」の亜種です。

こういった言説はよくブラック企業の経営者などから発せられます。

従業員を馬車馬のようにこき使うための方便と捉えられ、ネット上では過労死を生むブラック経営の代表的な思想として定着しています。

私も実際に他人から同じようなことを言われたら、村上龍と同じように「???」となるでしょう。

しかし、該当記事を読んでいて、少し違った目線でその発言の意味を再考してしまいました。

他人に対して「無理と思うから無理、やれば無理じゃなくなるから、やれ」というのはただの無茶振りです。

しかし、自分が自分に対して洗脳する分には割といいメソッドなのではないか?と思い至りました。

このブログは月一のノルマを自分に勝手に課して細々と更新し続けています。

その結果、100記事以上も文章が溜まってしまいました。

これだけたくさん書いていると、ほぼ毎月、「そろそろ何か書かなきゃ」と思っても「もう書くことなんてない」となりがちです。

それでも今のところはまだ文章をなんとか捻り出せています。

やる前は「無理」と思っていても、実際に書ききった結果は「無理じゃなかった」のです。

そういった実際の自分の経験から自己洗脳メソッドも良いではないのか?と思った次第です。

それはそうと、一切体調を崩したりしないし、いつ会ってもいつも通りの感じで接してくれるような体力オバ……優秀な人が身の周りにちらほらいます。

例えば、自分が通っている歯科医は院長先生によるワンマン体制です。

助手や歯科衛生士、事務、受付の人はもちろん別にいますが、歯の治療を行うのは院長先生一人だけです。

ということは院長先生が病欠したら、その日の予約は全て台無しになってしまいます。

しかし、私はその歯科医に10年ほど通っていますが、今まで一度たりとも院長先生が欠勤した日に遭遇したことがありません。

そういった、対人商売の自営業の人だったり、社長という人種は特に体調を崩さないし、体力に満ち溢れている人が多いと思います。

逆に、安定した職場の従業員などはすぐに体調を崩して気軽に欠勤してしまうイメージですし、自営業(not フリーランス)や社長をやっている人で、低気圧で泣き言を言っている人も見たことがありません。

こういった多少の無理を押し通して安定したパフォーマンスを出し続けられる人と、すぐに無理を受け入れてしまいパフォーマンスにばらつきが出てしまう人との違いはどこにあるのでしょうか?

それは体調を崩すことを現実が許してくれるかくれないかの違いです。

先ほどの歯科医の先生が体調を崩せば、その日の営業ができなくなり、ものすごい損失が発生します。

かたや、雇われの従業員は有給を消化すればいいだけで、致命的な損失が発生することはほぼありません。

しかし、従業員側でもソーシャルワーカーなどで自分がいなければ業務が全く回らなくなるような人は体調を崩せない側です。

このように、人ではなく現実が「やれば無理じゃなくなるから、やれ」と号令を出してくるのです。

それを履行しているうちに「無理じゃなかったって事です。実際にやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった。しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」となるのです。

他人からも現実からもせっつかなければ、あとは自分で自分に言い聞かせて追い込むしか「無理」を打ち負かす方法はありません。

やらないのとやるのとでは雲泥の差がありますから、やるに越したことはありません。

大抵のことはできないよりできた方が良いに決まっています。

逆に、他人からだろうが現実からだろうが自分自身からであろうが、自分をある程度洗脳して、無理を押し通せないと結果を出し続けることは難しいのです。

アマチュアであれば瞬間火力が高いだけでも評価されますが、世のほとんどのプロは継続性を一番に求められます。

ですので、火力の爆発力ではなく、安定した成果を出し続けなければならず、時折訪れる多少の無理は押し通せなければいけません。

野球ではバイオリズムが低い状態の対策ができない人は一軍のレギュラーになれません。

ここまで書いてきて、なぜ成功者の人たちがワタミ構文を使いがちなのかが分かりました。

それは現実が思考化しているからです。

自分がそれを成してきたから思考もそうなるのです。

ただ、「無理じゃなくなるまで無理を通す」には、自分をそういった現実に晒すか、生まれ持った才能が必要となります。

コンフォートゾーンの話でも書いた通り、自分で自分を洗脳するにはそれなりの才能が必要です。

しかし、もう一つ、無理を押し通してくれる力を授けてくれる存在がいます。

それはカリスマです。

現実に追い込まれなくても、自分で自分を洗脳できなくても、カリスマならあなたを洗脳してくれる可能性があります。

冒頭のワタミ会長の言葉も9割方は「何言ってんだこいつ」となりますが、1割の人の心には響いているのです。

ですから企業はそれなりに大きく成長しましたし、当人を尊敬している人も少なからずいるでしょう。

「人を動かす」正体はここに隠れています。

カリスマ性とはいわば「いかに他人から言われたからではなく、自分の中から湧いてきたものだと錯覚させられる能力」なのです。

つまり、他人からの発言はただのトリガーであり、それがきっかけで、あたかも自分の中で眠っていた神経回路が繋がって覚醒したかのような感覚を感じれば、それは他人からの命令ではなく自分の中から湧き出てきた能動的な動機となるのです。

私が「やればできる」と言っても誰もやらないですが、ティモンディ高岸が「やればできる」と言えば、少なくとも私が言う以上に「やってみたらできた」人が生まれることでしょう。

この差がカリスマ性です。

ですので、人が人を動かそうとする時に一番必要なのは、肩書きでも知力でもなく経験の豊富さでもなく、本人が内包するカリスマ性なのです。

私は人が人の上に立つ上で一番必要な能力はカリスマ性だと思っています。

バカでノロマでマヌケでも、人を惹きつける圧倒的魅力があれば、それだけで十分です。

自分ができなくてもできる人にやって貰えばいいだけですから。

逆に、賢くて俊敏で要領が良くても、人を魅了できなければ、誰もあなたに付いてきません。

ITのスタートアップ系の企業だと予め会社と同じビジョンを持った人を選別して採用するのがメジャーですが、カリスマ中小企業経営者であればビジョンをあたかも最初から自分が持っていたかのように植え付けることができるのです。

ワタミの会長もきっとそう言った類の人なのでしょう。

10人に一人でも100人なら10人、1000人なら100人を魅了する事ができるのですから。

逆に、ルールや取り決めをいくら作っても形骸化してしまいがちなのは、ルールや規則が悪いのではなく、ルールや取り決めを作った人たちや施行する人たちにカリスマ性がないからなのです。

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