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文章量:約2300字

Randomfulness

世の中は乱数に満ちている。

成功者の成功要因はほぼ運だし、失敗者の失敗要因もほぼ運である。

こう書くと「いやいや、成功したのはその人に素質があり、それ相応の努力をしたからだ」と反論される。

しかし、人の素質と努力できる才能は親ガチャで決まるし、頑張ってみようという動機の有無でさえ環境ガチャに左右される。

このあたりの話は可能性の可能性で少し前に書いた。

とはいえ我々は、成功には成功に対する因果を求めてしまうし、失敗には失敗に対する因果を求めてしまう。

人は結果に対して納得できる理由が不在であることに耐えられないからだ。

そして、因果を求めてしまうが故に、人間は色々な物事から相関を見出す。

さらに、発見した相関を因果関係として結びつけてしまう。

相関に関してはパッと見ですぐに分かる。

なんだったら掲題の本にも書いてあるが、完全なランダムからでも我々は相関や法則性を積極的に見出す。

しかし、因果となるとそう簡単に断定することはできない。

例えば成功者はみんな朝早起きだったとする。

この場合、朝早く起きられるから成功者になれた、とは言えない。

成功したが故に朝早く起きる必要があってみんな朝早起きになっただけなのかもしれない。

このように、早起きと成功に相関があったとしても、早く起きれるから成功したという因果関係を簡単に導き出すことはできない。

朝早く起きれるから成功した可能性もあるし、成功したから朝早く起きるようになった可能性もある。

いわゆる「卵が先か鶏が先か」である。

だから、ひとえに相関があるからといって因果関係として捉えるのは早計すぎる。

そして「成功者はみんな朝早起き」は帰納によって導かれた相関なのでブラックスワンが潜んでいる可能性がある。

ブラックスワンに出くわしてしまったら最後、因果はおろか相関までもが崩れ去る。

相関が相関でいられるのもブラックスワンが発見されていないある種の運がいるし、それが因果関係ともなるとより可能性が絞られることになる。

結果に対する因果の認識などその程度である。

数学や物理学以外の再現度が100%ではない学問には「想定の範囲外」があるし、仮に100%だとしても神様のいたずらである日突然、物理法則が乱れるかもしれない。

こういった科学の不確定要素については昔書いたのでここではあまり追及しない。

要は、この世の中は色々確定しているように見えて、意外と絶妙な運のバランスの上に成り立っているのだ。

そして、「運が良い」方は割と意識されるが「運が悪い」方は割と切り捨てられがちである。(だからブラックスワンという概念がみんなの心に刺さったのだろう)

不運はそれ自体がマイナスであり、さらにその事実が後々の自分の考えや行動にマイナスの影響を与えることもある。

ただ巡り合わせが良かっただけで運命を感じて結ばれるのと同じぐらいに、ちょっとしたすれ違いの積み重ねが人間関係を破壊している。

ノブリスオブリージュで書いた通り、持つものは正のフィードバックループを、持たざる者は負のフィードバックループを人生で回しがちだ。

些細な運不運だとしても、バタフライエフェクトにより最終的には決定的に運命を左右しているかもしれない。

一つ前のエントリで恒常的なやる気がいかに大事かを書いたが、不運はそのやる気を削ぐ。

不運単体でもマイナスなのに、そこからさらにデバフ効果が付与される。

逆に幸運はやる気をブーストし、より行動的になるので、幸運だけでなくバフ効果も付与する。

運不運はその瞬間だけでなく、その後の行動にも影響を与え続ける。

幸運と不運は当人の人生にレバレッジをかけて、そのリターンを増幅させる効果があるのだ。

運命の悪魔は不運を振りまくだけでは飽き足らず、その人の後のやる気や行動力までも奪い去ってしまう。

ただ「運が悪かった」だけで片付けられがちだが、不運はみんなの想像以上に殺傷力を持っている。

近代は医療やテクノロジー、ロジスティクスの発展で人が死ににくくなった。

その反面、家庭が貧乏とか生まれ持ち何かしらの障害を持っているだとかの先天的な不運を背負いながら人生を送る人の割合は増えた。

その人たちは不運から派生する悪影響を長い人生の中でずっと浴び続けるのだ。

機会の副作用で書いた通り、チャンスが与えられる事は良いことだけではない。

だから、世の中が豊かになったのにも関わらず、幸福ではなく生きづらさを感じる人の割合が増えているのだ。

さらに、運命の悪魔は長い時間をかけてあなたを罠に嵌めることもある。

短期的に運が良いように見せかけて長期的には不運に陥るようなことがそれだ。

往々にして初めてやる競馬やパチンコは勝ててしまうものだ。

自分も初めて買った馬券も初めて打ったパチンコでもプラス数千円の収支で勝った。

その瞬間だけを切り取れば当然「運がいい」となる。

しかし、勝利の味に酔いしれてギャンブル沼にハマっていくと、やればやるほど負けがこんでお金を失うようになる。

ギャンブルにハマらなければそもそもお金を失うことはなかったのだから、最初の運が良かったせいで結果的には運が悪かったことになってしまう。

宝くじの高額当選者の末路が不幸になりがちなのもこのパターンだ。

このように運の良し悪しには、個々の運の良し悪し以外にも、その結果から派生する様々な影響があり、世の中のランダムさに拍車をかけている。

運がいいとより運が良くなるし、運が悪いとより運が悪くなるかと思えば、運が良かったせいで逆に運が悪かったことになったりする。

よく成功者が「自分は運が良かっただけですよ」というのを耳にするたびに「こいつは自己認識力がしっかりしているな」と思うし、失敗した奴やダメな奴も堂々と「自分は運が悪かっただけ」と開き直ってもいいんじゃないかと密かに思っている。

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