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本当はこわいポジティブフィードバック

Tags: 仕事, コミュニケーション

今回は「頑張りを褒める」は害悪でしかない話の続きの話になります。

最近の組織論やマネジメントの文脈では、とにかく「ポジティブフィードバック」がもてはやされています。

「否定からは何も生まれない」「心理的安全性を高めるために、まずは良いところを見つけて褒めよう」といった、耳当たりの良いスローガンが至る所で踊っています。

しかし、この「とりあえず褒めておけばいい」という、ある種の思考停止した善意が、実は組織を内側から腐らせる劇薬になっているのではないか、と考えています。

例えば、あるプロジェクトでアウトプットの質が著しく低い、あるいは方向性が微妙にずれているメンバーがいたとします。

そこで、マネージャーやリーダーが「でも、この短期間でこれだけアウトプットを出したのは頑張りましたね」とか「資料の見た目が綺麗でいいですね」といった、いわゆるポジティブフィードバックを投げたとしましょう。

投げた側は「これで彼(女)のモチベーションが上がるはずだ」と、自分の善行に満足しているかもしれません。

しかし、そのフィードバックが影響を与える範囲は、フィードバックを受けた本人だけではありません。

目に見えないところで業務の品質を担保し、運用上の懸念を先回りして潰し、泥臭い調整を完璧にこなしている「本当のデキる人」たちも、そのやり取りを密かに観測しています。

彼らの耳にその言葉が届いた瞬間、組織の「品質」という名の防波堤に、決定的な亀裂が入ります。

「あんな中身のない仕事でも、この組織では『成果』として称賛されるのか」

「結局、このリーダーは本質を見抜く目を持っていないんだな」

そう思われた瞬間、その組織からプロフェッショナルな緊張感は失われます。

これが組織における「割れ窓理論」です。

一つの「適当な仕事への安易な称賛」が、組織全体に「この程度でいいんだ」「本質より見栄えや頑張り(のようなもの)が評価されるんだ」という呪いとして伝播していきます。

さらに、このポジティブフィードバックの連鎖は、容易に内輪ノリやエコーチェンバーを産み出します。

お互いがお互いの不完全なアウトプットを全肯定し合う心地よい閉鎖系の中では、外部の厳しい基準や客観的な視点は「和を乱すノイズ」として排除され、組織は急速に「井の中の蛙」へと退化していきます。

本来、フィードバックは「現実との乖離」を突きつける冷徹な外部入力であるべきなのに、それが「身内での承認欲求の交換」にすり替わったとき、その組織の進化は止まるのです。

結果として、機能不全という地獄への道は、常に第三者からの「善意」で舗装されることになるわけです。

質問の流儀でも触れましたが、コミュニケーションにおいて質問者の質が回答の質を決定づけるように、フィードバックにおいても与える側の力量がその価値を決めるのです。

そもそも「頑張り」を褒める行為は非常にセンシティブです。

褒める行為はある種、相手の行動の指針を決定づける行為でもあるので、間違った指針を与えてしまうと間違った行動を学習させてしまいます。

相手がどれほど考慮すべきコンテキストを抱えているのか。

どの程度の熱量を持って取り組んだのか。

その「頑張り」が、結果に直結する正しい道筋(ベクトル)の上にあるのか。

それらを全て見抜くには、相手と同等、あるいはそれ以上の深い専門性と観察眼が不可欠です。

それなのに、自分の理解が及ばない分野や、表面的なスピード感だけを見て「頑張ってますね」「素晴らしいですね」と口にしてしまう。

これは相手に対する敬意ではなく、自分の「リーダーとしての仕事をしている感」を埋めるための消費活動に過ぎません。

典型的な例が、昨今のAI業務改善に対するフィードバックです。

AIを使って中身の精査もせずに動くものだけを量産する爆速開発ニキに対し、事情を知らない外野が「素晴らしいスピード感だ!」と称賛を浴びせる。

この「本質を見ようとしないピント外れの称賛」は、以前天才を殺す凶器で述べた、本質を直視できない、「無関心」の一形態に他なりません。

偽物へ注がれる無邪気な喝采は、その影で真に価値ある仕事を支える人々を静かに葬り去る、不可視の凶器として機能します。

その無関心によって、自らの仕事は透明化され、存在そのものも黙殺されていくのです。

日常を日常たらしめるために日々我慢強く踏ん張り続け、システムの崩壊を食い止めているインフラおじさんたちの視線は、もはや冷ややかですらありません。

彼らはもはや怒るのをやめ、議論するのをやめ、ある日突然、静かにアトランティスへと去っていきます。

残されるのは、褒められて全能感に浸る素人と、誰も全貌を把握できない巨大なゴミの山です。

こうした「整合性を欠いた肯定」の不気味さは、AIとの対話においても顕著に現れます。

プロンプトの意図が送り手の頭の中にある文脈と根本的にずれていても、AIはその違和感を検知することができません。

すれ違った意図の上で、いかにももっともらしいポジティブなフィードバックを「それっぽく」生成してしまうのです。

この「文脈の不一致を無視して成立してしまう肯定」もまた、ポジティブフィードバックという仕組みが抱える大きな欠陥の一つと言えます。(反語彙力的にはメリットで意思疎通的にはデメリット)

ポジティブフィードバックという、一見すると美しい贈り物が、実は組織の選別と破壊を加速させています。

褒める行為には、それを行うだけの資格と、現場のコンテキストを読み解く責任が伴うのです。

もしあなたが仕事上で誰かを褒めようと思うなら、その前に自問自答しなければなりません。

「私は、この人の仕事を正しく評価できるだけの『器』を持っているだろうか?」と。